屋根からの眺め」カテゴリーアーカイブ

070320 ウド小屋

兵庫県三田市のウド小屋です。
もう10年ほど前になりますが、これを偶然目にしたときの衝撃は忘れられません。
「茅葺きのビニールハウス??」
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年の瀬が近づく頃になると、毎年同じ稲刈りを済ませたあとの田んぼに出現していたので、4年前には農家の方が建てているところを見せて頂くために通ったりもしました。

が、職人のくせに一番肝となる部分の技術を忘却してどうしても思い出せずにいたところ、「茅葺きワークショップin能登」に参加された筑波大学の安藤研究室の皆さんが、見学に行かれるとのことだったのでご無理をお願いして同行させてもらいました。

内部はこんな感じ。
歯触りの良いウドを育てるためには日光に当てることは厳禁で、地下の穴の中で栽培する地域もあるほどですが、三田では水稲の裏作として田んぼにウド小屋を組んで栽培されて来ました。
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栽培農家の方は僕の顔を覚えておいででしたので、再び教えを請うのは恥ずかしいことでしたが、あらためて丁寧に教えて下さいました。

早春の出荷時期に合わせてウドを育てるためには、干し草の発酵熱を活用した温度管理が行われています。
役割を終えた干し草が、有機肥料として田んぼに鋤き込まれるのを待っています。
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ウド小屋はただ内部を暗くしているだけではなく、寒風から発酵熱を奪われないように守り、適切な発酵が保たれるように雨水も凌いでいますから、これはもう立派な「茅葺き屋根」です。

小屋を葺く茅は現地の田んぼで栽培されている酒米の稲ワラです。
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稲ワラは発酵熱の温度を調整するために干し草に被せる「マクラ」にも用いられます。また、干し草も夏の間に田んぼの畝刈をした雑草が使われていて、ウド小屋によるウド栽培が表作の水稲栽培と実に上手く組み合わされていることに驚かされます。

ウド小屋のような「はたらく茅葺き」への興味が、最近自分の中では高まっています。たとえば、ころ柿を干す「柿小屋」や別府温泉の「湯の花小屋」、古式塩田で塩を煮詰める「塩屋」など、「茅葺きでなければ」という建物は、意外とまだあるのではないかと。
そのような情報をお持ちの方は、よろしければぜひお知らせ下されば幸いです。
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ちなみに三田でのウド栽培もこのようなビニールハウスが一般的となっていて、ウド小屋を建てる栽培農家は今では三軒だけだとか。

今回あらためて教えて頂いたことを含めて、この農業と密接に結びついた茅葺き文化については、いずれもう少し詳細なレポートをお届けできればと思っています。
同時にこの茅葺きの技術を、体験プログラムにも活用て行きたいと思っています。

070318 茅葺きツアーin能登

能登2日目の午前中はワークショップ開催事務局の案内で、地元輪島市三井の茅葺き集落を訪ねました。
最初に昨日のワークショップでパネラーも務められたM氏のお宅へ案内して頂きました。
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現在でこそ鉄道も廃線となった山村ですが、見事な屋敷構えに日本海航路の要所として栄えた往事が偲ばれます。
こちらの棟はこうがい棟ではなく箱棟が被せられていました。

招かれるままにぞろぞろと家に上がらせて頂いたところ、囲炉裏には火が熾り数ある座敷にはそれぞれ火鉢が据えられていて、美味しいお茶とおにぎりまで供してもてなして下さいました。
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各部屋の火を囲む茅葺き談義の輪が自然と開かれ、あまりの心地よさに思わず後の予定を忘れて長居しそうになったのは、僕だけでは無かったと思われます。

続いて同じ集落内にもう一軒ある茅葺きのお宅と、神社とを見せて頂きました。
ちなみにそれらはどちらもこうがい棟でした。(どうしてもそこへ目が行ってしまいます)
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こちらの神社は住民の皆さんの手で最近直されたそうで、まだ茅の色も鮮やかです。

軒のあたりでひらひらしているのはよく見ると開きにされた肥料袋。
傷んだ軒先を整えるために差し茅をし過ぎてしまい、押さえの竹が屋根の表面近くに押し出されてしまったのを雨から養生しているようです。
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この様子がとても微笑ましく好もしい、と言うと何だか偉そうですが、氏子の方々が創意工夫を凝らして茅葺きのお宮を守っている様が、他人事ながら嬉しくてなりません。
職人の仕事という訳でもありませんしあまりがみがみ言わず、当座の処置として簡単に手に入り加水分解に強く引裂強度もある肥料袋は、なかなか良いアイデアだと思いました。

この辺りでは茅葺きの葺き替えを止めた時に、トタンを被せたもの以上に屋根の小屋組ごと瓦葺きに載せ替えている家が目につきました。
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剥がせば茅葺きに戻るトタンとは異なり、こうなると茅葺きに戻すことは困難になってしまうのですが、この茅葺きから瓦屋根への改造の仕方も、茅葺き同様に地域色が豊かでなかなか興味深いものだと感じています。
特にこの飾り貫の美しい妻壁をみせる「大壁造り」と呼ばれることもあるデザインは、今や北陸を象徴する景観のひとつと呼んでも良いのではないでしょうか。

廃線にSLが走っていた頃にはもっと多くの茅葺き民家が建ち並んでいたそうで、往事の光景を惜しむ声もしきりに聞かれました。
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とはいえこの妻壁がリズミカルに建ち並ぶ風景も、これはこれでなかなかによろしいのでは。
もちろんそこには茅葺きを取り巻いていたような、濃密に人と自然の共生する暮らしは失われてしまっていますが、里山の生態系における茅葺きの占めるべき役割も時代とともに変化して来ているはずですから、全ての家が茅葺きである必要も無いかも知れないという意味で。

見学会は解散後、我々は昼食に寿司をつまみに輪島市内へ。
メインストリートの国道に沿って建つのは、拡幅工事でもあったのか新しい建物ばかり。でも、相当しっかりしたデザインコードが敷かれた様子で趣は失われていません。
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新しい建物ばかりなので、ヤマダさんは「何となくわざとらしくてCGみたい」と心配されていましたが、きっと大丈夫です。本物で造られた建物は時間に磨かれて味わい深くなって行きますから。
「きれいなものは時間を経て汚くしかならないが、美しいものは時間を経ればより美しくなる」

午後からはせっかく奥能登まで来たので、重文の時国家まで足を延ばしました。
近世日本史における時国家の活躍は、網野善彦他多くの先生方の著書で紹介されていますから、差し出がましい真似は控えておきます。

まずは下時国家住宅。
こちらには卒論で神戸の茅葺き調査をしている最中に、就活(屋根屋への)の一環で訪れたことがありましたが、神戸の屋根と同じかたちで倍以上の大きさを持つこの屋根に、遠近感がおかしくなってしまったものでした。
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つい最近半解体修理が行われてより古風な姿となっていました。
棟は良くある「針目覆い」ですが、修理前からだかどうだったかは思い出せません。当時はまだ学生でしたし。

雪囲いのせいもあり中はかなりの暗さ。案内のおばちゃんが囲炉裏端でもてなして下さいましたが、囲炉裏の切ってある半公共空間の「ダイドコ」でこの暗さ。現代の我々の感覚での家族のプライベート空間としての「家」である「ナンド」は、窓も無く昼間でも本当に真っ暗。
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つまり民家が現役の「民の家」だった時代には、住人の生活スタイルも現代とは全く違っていたということです。
私達にとって家は「家族がくつろぐ」ところですが、民家においては家族の空間は「寝る」ためだけにあって、その他は「働く」とか「もてなす」ための空間であり、屋根の下であってもそこは家族にとっては「外部」だったのではと思うのです。
茅葺き「民家」を「住宅」として活用しようとするとき、そもそもそのような空間構成を持って建てられていることをしっかり認識しておかないと、なかなか居心地の良い「家」にはならないでしょう。

続いて上時国家住宅。
さらに大きな屋根で、こちらはこうがい棟です。(しつこいですが)
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屋根は適切に差し茅がなされて手入れが行き届いていました。雪の覆い土地のはずですが、軒のラインに狂いが出ていないことに感心させられます。

こちらは近代まで暮らしに合わせて改造されながら使われて来たしつらいが大切に保存されていました。
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縁側は犬走りまで雨戸で覆い、雨戸には明かり取りの高窓が設けられています。雪に覆われても快適に暮らす、豪雪地帯ならではの工夫なのでしょう。

破れたところだけ丁寧に張り替えられている障子が、まるで抽象絵画のような静謐で緊張感のある表情を見せてくれていました。
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最近ではホームセンターでロールになった障子紙を買って来て、剥離剤を使って丸ごと張り替えるのが当たり前になっていますけれども、障子って本来ここまで美しくなるものだったのですね。

散々勉強したふりをしておいて、最後の締めは手打ち蕎麦。
三食寿司を食べていながら蕎麦も欲張ってしまう。最近旅に出ると食べてばかりです。
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色々な人と会って、色々なものを見て、色々なことを考える機会となったもので、長い日記になってしまいました。最後までお付き合い下さった方はおつかれさまでした。ありがとうございます。

070317 茅文化ワークショップin能登

表題の集まりに参加せて頂くために、ナカノさん、ヤマダさんとともに冬晴れの能登半島を北へ。
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春を前にしてこの冬一番ではというくらいの冷え込みでしたが、時折風花が舞うくらいで雪の気配が無いのがありがたいところです。

会場となった輪島市三井のコミュニティ施設の茅葺き屋根は、関西一円に見られる入母屋のつくりでありながら、サイズがかなり大きめ。さらに棟の収めが千古の家や白川郷の合掌造りと同じ「こうがい棟」なのが北陸の地域色を引き立てています。
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家の周りには茅の雪囲い。
刈り取った茅を乾かしながら、落雪や寒風から家を守る素晴らしい暮らしの知恵だと思います。

シンポジウム形式で進められたワークショップは、生活に根差した体験談あり、珍しい事例報告あり、新鮮な切り口の茅葺き文化の解釈の提言ありと、飽きる間もなく時間が過ぎて行きました。
我々のように茅葺きの話題に惹かれて集まったものだけではなく、地元の方々が大変多く参加されているのも印象的でした。
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最近のこの手の集まりでは「茅葺きをどう活かすか」という前向きな話題が多く、「茅葺きを遺すためになんとかしてほしい」というような悲痛な話を聞かされることが少なくなって来ていて、時代の風向きは確実に良い方へと変わって来ていることを実感します。

ワークショップが散会しても拭き漆に彩られた座敷へと会場を移して、夜遅くまで参加者の皆さんと実りの多い会話と美味しい魚を楽しませて頂きました。
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日本における茅葺きの在り方も、そろそろ大きく変わる気配が立ち込めているように思います。
もちろん、それは人任せにしてしまうのではなく、自分もまたより良い未来のために万分の一の務めを果たさなければならないわけですが。

それにしてもさすがは輪島。宿をとった民宿では、温泉を引き入れた浴場の桶も脱衣かごも漆塗りでした。
輪島でも他のいくつかの漆器産地と同様に、現代の普段着の暮らしに取り込める漆器の在り方を模索していて、新しいライフスタイルの提案とそれに見合う新しいデザインの工芸品の開発は、日々茅葺きをどうプロデュースしていくか悩んでいる頭に良い刺激を与えてくれました。
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少し意地悪なことをあえて言えば、原料の漆を中国からの輸入に頼らざるを得ないのが残念に思います。
人里に生えるウルシの生産を高めることは、能登の財産のひとつである健全な里山の再興と結びつけられるはずなので。
もちろん、一朝一夕に成果の出ることでは無いでしょうから、既にそのような取り組みは始められているのかもしれませんけれども。

070203 香港行

突然ですが、少し香港に行って来ました。

'05年の4月と10月に当地に新しく整備された日本(風)庭園で四阿の屋根を葺きました。
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その様子を見に行くついでに、まあ、旅行です。
屋根屋仲間で、たまには、と。

10月に行った段階で実は既に4月に葺いた屋根は随分傷んでいました。
これはその時の写真です。
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雨期のあいだ屋根はほとんど乾く間が無いような有様で、高温多湿な環境では茅を引き抜いてみると、雨水が染み込んでいない屋根の奥まで蒸れてカビが生えていました。

今回訪ねてみたところ、さいわい心配していたほど傷んだ様子は見られませんでした。
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南国の茅葺きというと、茅の葉を屋根の外に出してバサバサとした「逆葺き」を思い浮かべます。
香港は他の多くの都市国家と同様に木造建築が禁止されて来ていたので、地元の茅葺きを既に見る事は出来ないのですが、周辺の中国で見られるのはやはりそのような南国風の茅葺きだそうです。

一般に「逆葺き」は日本で多く見られる「真葺き」より耐久性に劣るとされています。
ただ葺く手間は真葺きほどかからないので、簡単に葺いて頻繁に葺き替えるか、手間をかけて長持ちさせるか、かかるコストは同じようなものです。
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手間をかけても茅葺きが長持ちしない環境ならば、逆葺きが選ばれるのは賢明で自然なことでしょう。
この現場では材料のヨシや竹も全て日本から持ち込んでいました。僕はあくまでも手伝いに呼ばれた立場でしたが、いつか地元の材料と技術を用いて日本風の屋根になるような葺き方も、試してみたいものだと思っています。

四阿は九龍サイドの志蓮浄苑という仏教寺院が管理し、一般に無料で公開している庭園にあります。
香港に行かれた際には時間があれば訪ねてみて下さい。
香港まで行ってわざわざ日本庭園を訪ねるのもどうかとは思いますが・・・園内の中華精進料理レストランはなかなかだと思います

以下、茅葺きとは無関係ですが。

香港に着いたら、何はともあれまず、マンゴー。
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「糖朝」は確かに美味しいけれどいつも混み合っているので、庶民的な「許留山」が落ち着きます。

古い香港はどんどん取り壊されて新しくなりつつあります。
仕事をさせてもらったお寺も、啓徳に空港があった頃にはスラムが広がっていたのを、再開発して建てられています。
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上のような町工場や住宅や老人ホームが積み重なった「香港らしい」ビルは次第に少なくなって来て、ガラス張りのビルが増えて来ています。
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ガラスが金色だったりするのが「香港らしい」とも言えるかもしれませんが。

香港名物の高層マンションのデザインも洒落たものが増えて来ていました。
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穴があいたりしているのが「香港らしい」とも言えるかもしれませんが。

でも、相変わらず足場は竹で組まれています。
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茅葺きの現場でも地元の足場屋さんが竹で組んでくれました。ちょっと恐いこともありましたが・・・

香港と言えば「茶餐廳」
何それ?と言う方は「レビュー」でもお薦めした香港無印美食をご参照願います。
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煮出した(ような)ミルクティーと「サイトー」で一服。

'05年に仕事をしていた時には、毎晩新メニューを開拓するのが楽しみでした。
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何を頼んでも美味しかったので。

最近、香港で気に入っているのは郊外や離島の漁村です。
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明るくのんびりとした光や空気は、熱帯ではなく「亜熱帯」加減が良い感じです。

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もちろん、海鮮料理も美味しいですし。

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しかし、残念ながらこいつは試せませんでした。
食うのかコレ?食うのか、そうか。
日本では天然記念物サマだけれどね。
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お店で売られているものはたいがい平気で食べますけれど、有明海沿岸の魚屋さんで、ポリ袋に詰められたイソギンチャクを見て以来の驚きでした。

三度の食事が美味しいのに、合間に甜品(スウィーツ)もこなさなければならないので忙しい。
マンゴープリンの他にも牛乳プリンや杏仁豆腐等々。
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喫茶店のフルーツポンチみたいなものでも、缶詰ではないフレッシュフルーツで作るのでとても美味しいです。

今回初めての人も大勢いたし、定番の観光露天商を押さえておくのも悪くはないのですが・・・
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やはり市場は地元向けが楽しいです。
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果物は検疫があって持ち帰れないし、せっせと食べなければ。

と、いう訳で屋根の様子見にかこつけて、食べてばかりの香港行。
最後まで読んで下さった方はありがとうございます。お疲れさまでした。
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香港はお正月を目前にして、街中に飾りつけがされていました。
来年は猪(ブタ)年です。

それにしても、お正月を西暦(キリスト教歴)で祝う日本は、つくづく不思議な国だと思う。
別に善し悪しでは無く。

061228 寒中ツーリング

美山では冬支度がすっかり整っていて、茅刈りもすでに済ませられていました。
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雪の多い日本海側では、まだススキが枯れきっていない年内に早めの茅刈りをするので、刈ったススキは雪で倒されないように束にして立てて、春まで風に曝して乾かします。

しかし、今年はまだ雪らしい雪は降っていない模様。

自家用車は武相荘の現場に置いて来たので、神戸の実家には単車で帰省することに。
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美山町周辺は、景色良く、道広く、交通量少ない、関西有数のツーリングスポットなのですが、そこに暮らしながら休みの日=雨の日という暮らしなので、なかなか単車に乗る機会がありません。

以前、夏の夜に単車を走らせたら、体中が虫だらけになってひどい目にあってしまったし・・・
そもそも、景色が見えないことには走っても楽しくないですしね。

夕方篠山を過ぎたあたりから急激に気温が下がって来ました。
ようやく、本格的な冬の到来でしょうか。
美山を出るのが一日遅かったら、雪で動きがとれなくなっていたかもしれません。

061122 湖北の茅葺きの里

滋賀県マキノ町の在原という茅葺きの集落を訪ねて来ました。
扇状地にある市街地から谷を遡り山へ分け入った、いわゆる隠れ里と呼ばれるような集落です。

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滋賀の茅葺きというとヨシで葺かれたものをイメージされるかもしれませんが、湖岸を離れた場所ではススキが使われるの普通で、在原の屋根もススキで葺かれています。
ヨシはとても重量があるので、船で運んで行ける場所でなければ使いづらかったのかもしれません。

ここを訪ねた目的のひとつは、サガラのターレットトラックの回収です。
ターレットトラックとは、魚市場などでトロ箱をいっぱい積んで構内を走り回ったりしている、アレです。
生来インドア派のようですが、茅運びにも活躍してくれたら良いのですが・・・
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背後の民家の屋根は、初夏にヤマダさんの山城萱葺屋根工事によって、手前の小間を葺き換えられています。
サガラはそのとき在原に泊まり込みで手伝っていました。

さらにその奥の民家は、マイミクのふくい さんがセルフビルドで廃屋を一旦基礎まで解体してから、再建中のものです。もちろん、茅葺き屋根もセルフで。すごい。
今回はお留守でしたが。

もともと在原には職人さんが入ることはあまりなく、ごく最近まで住人の方が茅を集めて自ら葺くのが普通だったようです。
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今でも雪の季節を前にして、あたりまえにススキが刈り集められ、軒下で干されています。

それは、積雪の多い土地で雪囲いとしての需要があるからかもしれません。
ビニールトタンの雪囲いに比べて茅束の雪囲いは明るさで劣るものの、断熱性能に優れてすきま風も防ぐので暖かいそうで、2つを組み合わせると具合が良いようです。
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雪囲いにするために茅を刈るので、その茅を使って屋根のメンテナンスもする。と、いうのは、茅葺きを守るために茅を刈る、というのに比べて合理的で健全な気がします。

とは言うものの、茅刈りは結構な肉体労働です。ましてや、職人によるケアが一般的ではないまま高齢化が進むと、やはり屋根の維持は難しくなってきて、徐々にトタンが被せられてもいるようです。
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丁度トタンを被せるための下地が組まれた屋根がありました。
トタン板と茅葺き屋根のあいだには隙間があることが判ります。この隙間があるので、トタンを被せても茅屋根が蒸れたりすることはありませんが、あまり隙間が大きいとオリジナルの屋根の面影を失ってしまうことになります。

同じ入母屋の茅葺きでも在原の屋根は、美山の屋根とも神戸の屋根とも異なります。
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ミノコの無い直線的なケラバ、小さめのハフ、屋根勾配より緩やかな低い棟、など。

しかし、プレスされた瓦型のトタンで包まれると、そのような個性は失われてしまいます。
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在原には庇の無い葺き下しの茅葺き屋根が多いのも特徴です。
僕は茅葺き屋根に庇が付けられるようになったことは、ひょっとするとトタンを被せられることと同じくらい大きな改造だったかも知れないと考えています。
「囲炉裏を焚かなくなったから、茅葺きが長持ちしなくなった」という説が一般的ですが、庇が付けられたことはそれ以上に茅葺きの寿命に影響しているかも知れないからです。が、それについての話しはいずれまた改めて。

060930 初秋

美山の現場の途中ですが工程を調整してもらって、神戸で一週間作業して来ました。
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藍那の里山では、草刈りを続けて来た場所でススキの尾花が咲き始めています。
いよいよ茅場に銀の波がうねる季節となってきました。

葺き替えの途中で神戸に行って来たのは、ストックしてある茅材のうち他所の倉庫にご好意で置かせて頂いていた分を、搬出する期限が迫っていたためです。
茅材はとにかくかさばるうえ湿気や水濡れに弱いので、保管のための場所を確保するのに苦労させられます。

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倉庫に山積みの茅を運び出していると、こんなものが出て来ました。
鶏卵の半分くらいの卵の殻。そしてヘビの抜け殻。

やがて茅のあいだからこんなものがたくさん出て来ました。
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生まれて間もないアオダイショウの子供たち。
まだら模様がマムシに似ているせいで、間違えて殺されてしまう事も多いのですが、体形が細めだし頭部を隠して守ろうとするので、落ち着いて見れば簡単に見分けられます。
ネズミを獲りに茅葺きの屋根裏で暮らしているおっ母さん達は、農家の守り神として昔は大切にされていたものですが・・・

10年以上茅刈りを続けて、ニュータウンの道路法面で育てている茅場の様子も見て来ました。
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今年は少し生育が悪いかなあ。

ススキの根元にはナンバンギセルの可愛らしい花が。
変な名前ですが、万葉集にも詠われた在来種だそうです。
ススキの地下茎に寄生するこの花は、元気なススキ野原がなければ咲く事が出来ません。
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茅刈りをすることによってこんな貴重な植物が、団地の中であっても群生する自然環境が育まれています。

060823 旧南桑田郡の茅葺き

かつて各地に出稼ぎして活躍していた、芸州屋根屋と呼ばれる広島の茅葺き職人さん達の記録をされている、マイミクの 青原さとし さんが出稼ぎ先の一つである亀岡に、調査のため訪ねて来られました。
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亀岡市南部の旧南桑田郡は、京都府と大阪市の県境=丹波と摂津の国境にあたる地域です。
美山の近所でもあるので、ご案内がてらに同行させて頂きました。

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自分とは立場の異なる方がヒアリングする内容は、とても興味深く勉強になります。

調査の結果はいずれ 青原 さんが記録映像へとまとめられて、発表されるのを楽しみに待たせて頂いていますが、僕個人の印象としては、亀岡盆地の南側では茅葺き職人と住人の方との関わり方が、我々の地元である北側とは随分異なる事が驚きでした。

060813 盆休み

実家に帰って来ました。
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ひさしぶりに仏壇を見て思ったのは、仏花を供えるために小さな庭でも四季を通じて咲くようにアレンジされていた花が、ガーデニングが盛んになるにつれあまり見かけなくなってしまったのは皮肉かと。
日本水仙とか百日草とかグラジオラスとか。

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盆だからとてたいした手伝いもしておりませんが、お迎え火くらいは焚きましょうか。小さな庭で。

060723 福井・千古の家

美山に茅葺きの普通の家、「砂木の家」を建てる計画の相談で、建築士のヤナガワさんを訪ねて鎌倉からの帰りに 福井県の芦原に寄って来ました。
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ご実家では地元の食材をふんだんに用いた、おいしい食事を始めとするおもてなしを頂きました。ありがとうございます。
こちらのお宅のような、居心地の良い縁側のある家にしたいと思っています。

翌日はヤナガワさんの案内で福井見物。「千古の家」と呼ばれる重要文化財坪川家住宅では、ちょうど茅葺き屋根の葺き替えが仕上げの段階でした。
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日曜日のためか職人さんの姿は見えませんでしたが、きれいな仕上がりでした。
オリジナルはススキ葺きだったと思いましたが、今回はヨシに葺き換えてありました。主に費用の問題からかと思いますが、比較的長持ちし材料として流通している量も多いヨシで葺かれる事例が、文化財建造物でも増えているように感じます。

屋根の中程を突き破って顔を出している丸太は、白川郷の合掌屋根などと同じ「こうがい棟」という棟収めのためのものです。棟に横積みにした茅を、この丸太に掛けた剥き出しの縄で止めておくという、いかにも千古の家にふさわしい素朴というか豪快な棟収めです。
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もっとも今回の葺き替えでは、ご覧のように杉皮と針金を用いた棟収めがなされたので、この丸太はかざりになってしまっていますけれども。

文化庁(の外郭団体)の設計監理によるのでしょうが、重文で幾ばくかの補助金があるとはいえ、実際の維持管理は所有者(千古の家の場合はおそらく坪川さん個人)がなされているわけですから、少しでも安価で長持ちするような工法が選択されるのは、ある程度仕方の無い事です。

一方で文化財指定の意味を考えると、特に民家の場合は建物単体だけでは無く、それを支えていた地域の文化も継承して行く必要があります。
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例えば、日常的な草刈りの規模で維持できる小さなススキの茅場があるだけでも、それを使って棟はオリジナルのススキのこうがい棟で収める事が出来れます。傷みやすく頻繁に必要となるいこうがい棟の交換を、職人の手を借りず有志の近隣住民の手でこなしていけば、あまりお金をかけずに茅葺きを介して土地の文化を伝える機会にもなると思いますが、難しいですかねえ。

実は千古の家の近くにも、手入れされた茅場とおぼしき休耕田がありました。周辺には他に茅葺き民家も見当たらない事から、千古の家の葺き替えに備えていたものかもしれません。今回の葺き替えでここのススキは活用されたのかどうか・・・

こちらは千古の家の軒裏です。本来なら茅葺き屋根の場合、草桁(外壁の上の横木)の上に丸太の垂木が乗っているだけなので、垂木のあいだには隙間があり屋根裏への空気の取り入れ口になっています。
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しかし、現在では多くの茅葺き民家に庇がつけられたために軒裏の隙間は塞がれていていて、千古の家のように茅屋根の葺き下しでも、このように隙間は藁束を詰めてわざわざ塞がれています。
茅葺き屋根が長持ちしにくくなった原因として、囲炉裏で火を焚かなくなったからだと言われていますが、自分の実感としてはそれ以上に、軒裏を塞いだり天井を張ったりして屋根裏の換気が悪くなったからのように思われます。

美山に建てる家では、そのあたりを実際に色々と試してみたいと思っています。