覚園寺を一緒に葺いている奈良のタナカさんが、重要文化財坂野家住宅の門を葺き替える現場に、若手の職人数人を研修生として迎え入れて、茅葺師技術現場研修会を催すことを社団法人全国社寺等屋根工事技術保存会から委託されたそうで、雨の日に茨城県常総市まで下見に行って来ました。
カマボコ型の丸い棟や、ケラバ(切り妻の端)に見られるスプーンでえぐったような形の大きな蓑甲(ミノコ)など、いかにも関東風なかたちの屋根でした。
研修という形で関東の葺き方を研究しつつ、じっくりと屋根葺きに取り組めるというのは、何とも魅力的な機会だと思います。ですが、せっかくタナカさんの指導を受けられるのであれば、奈良の屋根を会場とした研修会にしてくれたら良いのに、とも正直なところ思わないわけではありません。
こちらは、母屋。北関東の屋根の見本のような、趣向を凝らしたつくりです。
まだ新しくて、聞くところによると昨年葺き換えたばかりとか。と、いうことはこれを葺かれた職人さんはおそらく現役でご活躍されているでしょうから、ここの門で研修会を催すなら、その方を講師にお招きしてはどうかとも思ってしまうのです。
(社)社寺屋根による研修会には僕も参加させて頂いたことがありますが、普段離れた地域で仕事をしている若い屋根屋が集まって、一緒に仕事をするというだけでも職人としての視野を拡げたり、自分を客観視することのできるまたとない機会を与えて頂きました。
ただ、地域による特色の強い茅葺きという技術で、なおかつローカルな技術の継承を重視しなければならない文化財の葺き替えにおいて、講師として来て頂いた職人さんが(個人としての力量はもちろん見事なのですが)、必ずしもその屋根に精通する地元の方ではなかったことは残念に思いました。
茅葺きの豊かな地域性は必然によってもたらされた形態のはずなのですが、その意味を理解し技術を引き継いで行くためには、残り時間のあまりの少なさに焦りを感じずにはいられません。
こんばんわ、毎回屋根屋さんのコメントを興味深く読ませていただいてます。
わたしもまだこの仕事に携わって丸一年にしかなりませんが、地域性に根ざした仕事であることをつくづく思いしらされます。
こちらの仕事圏内だけでも杉皮葺き、茅葺き、棟の形等々まったく違ったもので、それが県を越えるとなると根本的なものから変ってくるのだと思います。ちなみにこちらは針金は隅にしか使いません。棕櫚縄がメインの手締めです。よって屋根裏に入って針を受けることもありません。
奈良にもまだ職人さんが多くおられるのですね。写真でしか見たことはありませんが、奈良の大和棟にはこちらにはない美しさを感じます。2年前には美山にも行きましたが、あの燐とした整然とした形にはこちらにはない素晴らしさを感じました。 そはか
そはかさん、コメントありがとうございます。
美山の屋根を褒めて頂きありがとうございます。
茅葺きの技術というのは、未だきちんと体系付けられておりませんから、形態だけにとらわれずに工法としてどこが異なりどこが共通しているのか、我々現場の人間がベテランの屋根屋さんから手を通じて覚えたことを、誰にでも納得できるような言葉に置き換えていく作業を、少しずつでも積み重ねていくことが大切なのではと思っています。