0210 縄文竪穴式住居の復元 - ネソねり

投稿日: 2件のコメントカテゴリー: 茅葺き現場日誌@勝坂遺跡

神奈川県相模原市にある縄文時代の集落跡、史跡勝坂遺跡に復元竪穴式住居の屋根を葺く為にやって来ました。
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各地で復元された竪穴式住居には、茅葺き民家の屋根を地面に置いたようなものが多く、僕自身何度もそんな「復元住居」の屋根を葺かせてもらう機会がありました。
しかし、職人として茅葺きと長く関わる中で、それが農業の営みに深く根差した技術であり文化であることを知るにつれ、中世や古代の屋根は近世のお米づくりを中心とした社会で育まれた茅葺き民家とは、ずいぶんと違っていたのではとの思いが強くなって行きました。

一方で地域色豊かな茅葺きの文化には、田んぼの都合による効率優先だけでは無い、その土地の事情に即した茅葺きの技術も今に伝えられています。
南方系の稲作文化を支えた竹と縄(稲ワラ)を用いない、雪深く険峻な飛騨、能越地方の山地に残るヌイボク(ナラなどの若木)とネソ(マンサクの若木)を使うネソ巻きの技術もそのひとつです。
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竹を伐り出す金属の刃物も、藁縄をなう為の稲ワラも無かったであろう、縄文時代の屋根下時を組むために、ネソ巻きを今に伝える数少ない職人さんである、飛騨かやぶきのスギヤマさんに一肌脱いでもらえることになり、材料のネソとヌイボクの手配までして頂きました。

勝坂遺跡での古代住居の復元に際しては、縄文時代の技術の再現に努められています。古代建築史には素人ですが、茅葺き職人としての経験に基づいた僕の提案も、専門の先生方が検討の上いくつか採用して頂けました。
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「米と鉄の普及以前」にこだわった茅葺きの様子をご紹介します。

生木の状態で現場に持ち込んだネソは、使う前に樹皮が黒く焦げ落ちるくらいまで焚き火で炙ります。
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暖めることで木の繊維をほぐしやすくするのと、樹皮の裏の栄養豊富な部分に虫がつくのを防ぐためだそうです。

充分に火にかけたネソを、雑巾を絞るようにねじり上げてほぐします。文章にすると簡単ですが、若木とはいえ木材を人力でねじるのですから大変です。
ネソ練りと呼ぶこの下拵えが、ネソ巻きの肝となります。
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きちんと練れていないと屋根の上で使う際に折れてしまうし、力任せにねじればちぎれてしまいます。

竪穴式住居の小屋組が栗材で組まれて行くあいだ、数百本のネソを練って準備を進めておきます。
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樹皮を焦がしたネソからは、おいしそうな焼き芋のような甘い匂いが。

0215 縄文の下地 ? ネソ巻き

投稿日: 2件のコメントカテゴリー: 茅葺き現場日誌@勝坂遺跡

勝坂遺跡は相模川の広い河原を望む河岸段丘の上に広がっています。段丘の下には「はけ」と呼ばれる泉が湧き出し、陽当たりの良い台地は晴れた日にはいかにも住み心地が良さそうです。
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ですが、関東ローム層の上に黒ボクが厚く堆積した段丘上は、呆れる程水を含みやすくて雨が降るとこうなります。
そして、先週からずっと雨模様です。

遺跡に隣接して米陸軍の座間キャンプが広がり、離発着を繰り返すヘリコプターが毎日のように頭上をかすめる騒音の中、スギヤマさんたちは泥にまみれて「ベトナムがー、ベトナムがー(意味不明)」とうなされながらネソ巻きに励んでくれました。
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おかげさまで無事屋根下地ができあがりました。

「木で木を縛る」ネソ巻きの不思議。ネジ釘はおろか縄すら使わずに組まれた屋根下地です。本格的な稲作が始まっていない縄文時代には、稲ワラでなった縄は無かったでしょうから。
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ネソが乾いて行くに従って、よりきつく緊結されて行くそうです。
木をねじって使うところを見ると、いつもイギリスの茅葺き屋根で使うスパーを思い出します。身近な素材の特性を使いこなす技術も、磨き抜けば同じような発想に行き着くのでしょう。縄文時代の人たちも、きっと。

ところで復元される住居は実はもう1棟あります。そちらの小屋組が仕上がるまでまだしばらくかかりそうなので、それまでネソは水に浸けておきます。
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とにかく、使うまで乾かしてしまってはだめなのです。そういう意味では雨模様も結構なのですが・・・泥は何とかしてほしい。

0217 笹葺きチーム、参上

投稿日: 4件のコメントカテゴリー: 茅葺き現場日誌@勝坂遺跡

今回は「笹」で茅葺きの屋根を葺きます。
このブログでも何度か書いていますが、「茅」という植物があるのではなく、屋根を葺くために用意された草の束を茅と呼びます。
日本でポピュラーな茅はススキとヨシ。何といっても丈夫で葺いた屋根が長持ちしますが、丈夫な故に刈り取りには切れ味鋭い鉄の鎌が不可欠です。
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鎌で刈ったススキやヨシですら仕上げにハサミをかけるくらいで、切り口をシャープに整えて水はけ良く出来なければ長持ちも期待できず、手間をかけて茅の根本を屋根表面に出す「真葺き」で葺く甲斐がありません。材料と工期が少なくて済む、茅の葉先を屋根表面に出す「逆葺き」で葺いた方が効率良くなります。

ですから刈り取りに使う鉄の鎌や、仕上げの刈込みに使うハサミの無い縄文時代には、屋根は逆葺きで葺かれていたのではないかと思うのです。
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逆葺きで葺く茅としては稲ワラが一般的ですが、かつてはクマザサやリュウキュウチクのような笹も各地で使われていました。稲作以前の茅として検討してみる価値があるのではないでしょうか。

ところが現在クマザサの笹葺きは、丹後半島と能登半島に僅かに残されているだけです。
雑木林の林床での笹刈りから始めて、笹場をつくり笹葺きの技術を学び、消え去る直前だった丹後の笹葺きを再興しつつあるのが、立命館大学学生有志による「丹後村おこし開発チーム」の面々です。
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先輩から後輩へと引き継ぎながら、5年の歳月をかけて丹後山中で朽ちようとしていた民家の屋根を笹で葺き替えた彼等は、材料の確保から施工まで一貫して実行できる、現在日本で唯一の「笹葺き集団」です。
勝坂遺跡で笹葺きの復元住居に挑戦できるのも、彼等が笹の手配に一肌脱いでくれたおかげです。

そして、いよいよ笹を葺き始めるのに合わせて、遠く近江から相模まで駆けつけてくれました。
笹の「葉」で屋根を葺く笹葺きは、ススキやヨシの根本を整然と並べる真葺きの茅葺き屋根とは全く表情が異なります。
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粗く葺いているように見えますが、ふさふさなものを平らに、均等に葺くのは、規準となる平面が無いだけに却って難しいところがあります。

葺き並べた笹はヌイボクで押さえ、ヌイボクは屋根下地に縫い止めて行きます。
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ヌイボクを止めるのはネソで・・・と、行きたいところなのですが、大量のネソを揃えるのは技術的にも予算的にも難しいので、ここは針金を使います。

中途半端にワラ縄を使うよりも、誰の目にも縄文時代にあり得ないのが明らかな針金を使うことで、代用の技術であることを明らかにしておきたいので。
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意匠的には下地に使ったネソが目立つので、中に入って見上げても針金はそれほどうるさくはないと思います。

前例の無い、笹葺きによる縄文時代の竪穴式住居の復元が、笹葺きチームを迎えていよいよ始まりました。
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0219 笹葺き上げ

投稿日: カテゴリー: 茅葺き現場日誌@勝坂遺跡

せっかく丹後村おこし開発チームの面々が駆け付けてくれたのに、相変わらずすっきりしないお天気が続きます。
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あまり降るようでは茅葺きは出来ませんが、そんな日にも学生らしく予習復習に余念がありません。
茅葺き屋根に足場の丸太を吊るためのロープワークが、先輩から後輩へ伝授されています。

茅葺き屋根はコーナーの部分を葺くのが難しい。
ならば、まるい竪穴式住居にはコーナーが無いから簡単かというと、そうはいきません。
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コーナーを葺くのが難しいのは、それが屋根全体の形を決める規準となるからです。
規準が無いままに屋根の厚みを揃えて葺いて行くのは、至難の業です。

しかもこの建物、きれいな円錐形をしていません。
屋根の勾配も場所によってまちまちですし、入り口となる出っ張りがついていたりします。
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笹の束の中から、短いもの長いもの、葉っぱがたくさんついているもの、あまりついていないもの、自然の材料を微妙に使い分けながら、適材適所に葺いて行かなければなりません。

時に試行錯誤しながらの一週間。
建物の姿が現れて来ました。
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0227 土葺き+ネソ下地

投稿日: 3件のコメントカテゴリー: 茅葺き現場日誌@勝坂遺跡

相模原に来て2週間以上が過ぎています。冬枯れ姿だった現場を取り囲む河岸段丘林にも微かに色が差してきました。
足下にはアサツキの細い葉が長く伸びています。
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お手伝いしてくれていた学生たちも帰ってから、お天気が悪いのと、僕の段取りが悪いのとで、なかなか捗りませんでしたが、職人さんたちの助けを得て徐々に現場が加速して来ました。

飛騨かやぶきのスギヤマさんたちが戻って来て、2棟目の屋根下地もネソで組んで下さいました。
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2棟目は、「土葺き」です。
大量の草を使う茅葺き屋根は、肥料として草を大量に生産し利用する営みの中で発達して来ました。本格的な農耕が始まっていない縄文時代には、苦労して草を刈って大量の茅を集めても、葺き替えの際に古茅を肥料として利用する訳でもないので、草や樹皮を薄く敷いた上に土を被せて済ましていたのでは、ということです。
実際に樺太アイヌのチセとして、そんな土饅頭のような室を住居として利用されていたことも確認されています。

断熱効果の高い土の家は、寒い季節には意外と住み心地が良かったのかもしれませんね。
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下地を組んだネソはマンサクの若木です。水に浸けて長いこと待たせていたので、雑木林に春の訪れを知らせる黄色の花を咲かせてしまいました。

笹の逆葺きと、土葺き。
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米と鉄以前の茅葺き屋根は、どんな建物になるでしょう