070317 茅文化ワークショップin能登

投稿日: 4件のコメントカテゴリー: ミーティング屋根からの眺め

表題の集まりに参加せて頂くために、ナカノさん、ヤマダさんとともに冬晴れの能登半島を北へ。
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春を前にしてこの冬一番ではというくらいの冷え込みでしたが、時折風花が舞うくらいで雪の気配が無いのがありがたいところです。

会場となった輪島市三井のコミュニティ施設の茅葺き屋根は、関西一円に見られる入母屋のつくりでありながら、サイズがかなり大きめ。さらに棟の収めが千古の家や白川郷の合掌造りと同じ「こうがい棟」なのが北陸の地域色を引き立てています。
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家の周りには茅の雪囲い。
刈り取った茅を乾かしながら、落雪や寒風から家を守る素晴らしい暮らしの知恵だと思います。

シンポジウム形式で進められたワークショップは、生活に根差した体験談あり、珍しい事例報告あり、新鮮な切り口の茅葺き文化の解釈の提言ありと、飽きる間もなく時間が過ぎて行きました。
我々のように茅葺きの話題に惹かれて集まったものだけではなく、地元の方々が大変多く参加されているのも印象的でした。
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最近のこの手の集まりでは「茅葺きをどう活かすか」という前向きな話題が多く、「茅葺きを遺すためになんとかしてほしい」というような悲痛な話を聞かされることが少なくなって来ていて、時代の風向きは確実に良い方へと変わって来ていることを実感します。

ワークショップが散会しても拭き漆に彩られた座敷へと会場を移して、夜遅くまで参加者の皆さんと実りの多い会話と美味しい魚を楽しませて頂きました。
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日本における茅葺きの在り方も、そろそろ大きく変わる気配が立ち込めているように思います。
もちろん、それは人任せにしてしまうのではなく、自分もまたより良い未来のために万分の一の務めを果たさなければならないわけですが。

それにしてもさすがは輪島。宿をとった民宿では、温泉を引き入れた浴場の桶も脱衣かごも漆塗りでした。
輪島でも他のいくつかの漆器産地と同様に、現代の普段着の暮らしに取り込める漆器の在り方を模索していて、新しいライフスタイルの提案とそれに見合う新しいデザインの工芸品の開発は、日々茅葺きをどうプロデュースしていくか悩んでいる頭に良い刺激を与えてくれました。
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少し意地悪なことをあえて言えば、原料の漆を中国からの輸入に頼らざるを得ないのが残念に思います。
人里に生えるウルシの生産を高めることは、能登の財産のひとつである健全な里山の再興と結びつけられるはずなので。
もちろん、一朝一夕に成果の出ることでは無いでしょうから、既にそのような取り組みは始められているのかもしれませんけれども。

070318 茅葺きツアーin能登

投稿日: 3件のコメントカテゴリー: ミーティング屋根からの眺め

能登2日目の午前中はワークショップ開催事務局の案内で、地元輪島市三井の茅葺き集落を訪ねました。
最初に昨日のワークショップでパネラーも務められたM氏のお宅へ案内して頂きました。
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現在でこそ鉄道も廃線となった山村ですが、見事な屋敷構えに日本海航路の要所として栄えた往事が偲ばれます。
こちらの棟はこうがい棟ではなく箱棟が被せられていました。

招かれるままにぞろぞろと家に上がらせて頂いたところ、囲炉裏には火が熾り数ある座敷にはそれぞれ火鉢が据えられていて、美味しいお茶とおにぎりまで供してもてなして下さいました。
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各部屋の火を囲む茅葺き談義の輪が自然と開かれ、あまりの心地よさに思わず後の予定を忘れて長居しそうになったのは、僕だけでは無かったと思われます。

続いて同じ集落内にもう一軒ある茅葺きのお宅と、神社とを見せて頂きました。
ちなみにそれらはどちらもこうがい棟でした。(どうしてもそこへ目が行ってしまいます)
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こちらの神社は住民の皆さんの手で最近直されたそうで、まだ茅の色も鮮やかです。

軒のあたりでひらひらしているのはよく見ると開きにされた肥料袋。
傷んだ軒先を整えるために差し茅をし過ぎてしまい、押さえの竹が屋根の表面近くに押し出されてしまったのを雨から養生しているようです。
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この様子がとても微笑ましく好もしい、と言うと何だか偉そうですが、氏子の方々が創意工夫を凝らして茅葺きのお宮を守っている様が、他人事ながら嬉しくてなりません。
職人の仕事という訳でもありませんしあまりがみがみ言わず、当座の処置として簡単に手に入り加水分解に強く引裂強度もある肥料袋は、なかなか良いアイデアだと思いました。

この辺りでは茅葺きの葺き替えを止めた時に、トタンを被せたもの以上に屋根の小屋組ごと瓦葺きに載せ替えている家が目につきました。
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剥がせば茅葺きに戻るトタンとは異なり、こうなると茅葺きに戻すことは困難になってしまうのですが、この茅葺きから瓦屋根への改造の仕方も、茅葺き同様に地域色が豊かでなかなか興味深いものだと感じています。
特にこの飾り貫の美しい妻壁をみせる「大壁造り」と呼ばれることもあるデザインは、今や北陸を象徴する景観のひとつと呼んでも良いのではないでしょうか。

廃線にSLが走っていた頃にはもっと多くの茅葺き民家が建ち並んでいたそうで、往事の光景を惜しむ声もしきりに聞かれました。
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とはいえこの妻壁がリズミカルに建ち並ぶ風景も、これはこれでなかなかによろしいのでは。
もちろんそこには茅葺きを取り巻いていたような、濃密に人と自然の共生する暮らしは失われてしまっていますが、里山の生態系における茅葺きの占めるべき役割も時代とともに変化して来ているはずですから、全ての家が茅葺きである必要も無いかも知れないという意味で。

見学会は解散後、我々は昼食に寿司をつまみに輪島市内へ。
メインストリートの国道に沿って建つのは、拡幅工事でもあったのか新しい建物ばかり。でも、相当しっかりしたデザインコードが敷かれた様子で趣は失われていません。
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新しい建物ばかりなので、ヤマダさんは「何となくわざとらしくてCGみたい」と心配されていましたが、きっと大丈夫です。本物で造られた建物は時間に磨かれて味わい深くなって行きますから。
「きれいなものは時間を経て汚くしかならないが、美しいものは時間を経ればより美しくなる」

午後からはせっかく奥能登まで来たので、重文の時国家まで足を延ばしました。
近世日本史における時国家の活躍は、網野善彦他多くの先生方の著書で紹介されていますから、差し出がましい真似は控えておきます。

まずは下時国家住宅。
こちらには卒論で神戸の茅葺き調査をしている最中に、就活(屋根屋への)の一環で訪れたことがありましたが、神戸の屋根と同じかたちで倍以上の大きさを持つこの屋根に、遠近感がおかしくなってしまったものでした。
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つい最近半解体修理が行われてより古風な姿となっていました。
棟は良くある「針目覆い」ですが、修理前からだかどうだったかは思い出せません。当時はまだ学生でしたし。

雪囲いのせいもあり中はかなりの暗さ。案内のおばちゃんが囲炉裏端でもてなして下さいましたが、囲炉裏の切ってある半公共空間の「ダイドコ」でこの暗さ。現代の我々の感覚での家族のプライベート空間としての「家」である「ナンド」は、窓も無く昼間でも本当に真っ暗。
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つまり民家が現役の「民の家」だった時代には、住人の生活スタイルも現代とは全く違っていたということです。
私達にとって家は「家族がくつろぐ」ところですが、民家においては家族の空間は「寝る」ためだけにあって、その他は「働く」とか「もてなす」ための空間であり、屋根の下であってもそこは家族にとっては「外部」だったのではと思うのです。
茅葺き「民家」を「住宅」として活用しようとするとき、そもそもそのような空間構成を持って建てられていることをしっかり認識しておかないと、なかなか居心地の良い「家」にはならないでしょう。

続いて上時国家住宅。
さらに大きな屋根で、こちらはこうがい棟です。(しつこいですが)
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屋根は適切に差し茅がなされて手入れが行き届いていました。雪の覆い土地のはずですが、軒のラインに狂いが出ていないことに感心させられます。

こちらは近代まで暮らしに合わせて改造されながら使われて来たしつらいが大切に保存されていました。
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縁側は犬走りまで雨戸で覆い、雨戸には明かり取りの高窓が設けられています。雪に覆われても快適に暮らす、豪雪地帯ならではの工夫なのでしょう。

破れたところだけ丁寧に張り替えられている障子が、まるで抽象絵画のような静謐で緊張感のある表情を見せてくれていました。
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最近ではホームセンターでロールになった障子紙を買って来て、剥離剤を使って丸ごと張り替えるのが当たり前になっていますけれども、障子って本来ここまで美しくなるものだったのですね。

散々勉強したふりをしておいて、最後の締めは手打ち蕎麦。
三食寿司を食べていながら蕎麦も欲張ってしまう。最近旅に出ると食べてばかりです。
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色々な人と会って、色々なものを見て、色々なことを考える機会となったもので、長い日記になってしまいました。最後までお付き合い下さった方はおつかれさまでした。ありがとうございます。

070320 ウド小屋

投稿日: 7件のコメントカテゴリー: 屋根からの眺め

兵庫県三田市のウド小屋です。
もう10年ほど前になりますが、これを偶然目にしたときの衝撃は忘れられません。
「茅葺きのビニールハウス??」
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年の瀬が近づく頃になると、毎年同じ稲刈りを済ませたあとの田んぼに出現していたので、4年前には農家の方が建てているところを見せて頂くために通ったりもしました。

が、職人のくせに一番肝となる部分の技術を忘却してどうしても思い出せずにいたところ、「茅葺きワークショップin能登」に参加された筑波大学の安藤研究室の皆さんが、見学に行かれるとのことだったのでご無理をお願いして同行させてもらいました。

内部はこんな感じ。
歯触りの良いウドを育てるためには日光に当てることは厳禁で、地下の穴の中で栽培する地域もあるほどですが、三田では水稲の裏作として田んぼにウド小屋を組んで栽培されて来ました。
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栽培農家の方は僕の顔を覚えておいででしたので、再び教えを請うのは恥ずかしいことでしたが、あらためて丁寧に教えて下さいました。

早春の出荷時期に合わせてウドを育てるためには、干し草の発酵熱を活用した温度管理が行われています。
役割を終えた干し草が、有機肥料として田んぼに鋤き込まれるのを待っています。
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ウド小屋はただ内部を暗くしているだけではなく、寒風から発酵熱を奪われないように守り、適切な発酵が保たれるように雨水も凌いでいますから、これはもう立派な「茅葺き屋根」です。

小屋を葺く茅は現地の田んぼで栽培されている酒米の稲ワラです。
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稲ワラは発酵熱の温度を調整するために干し草に被せる「マクラ」にも用いられます。また、干し草も夏の間に田んぼの畝刈をした雑草が使われていて、ウド小屋によるウド栽培が表作の水稲栽培と実に上手く組み合わされていることに驚かされます。

ウド小屋のような「はたらく茅葺き」への興味が、最近自分の中では高まっています。たとえば、ころ柿を干す「柿小屋」や別府温泉の「湯の花小屋」、古式塩田で塩を煮詰める「塩屋」など、「茅葺きでなければ」という建物は、意外とまだあるのではないかと。
そのような情報をお持ちの方は、よろしければぜひお知らせ下されば幸いです。
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ちなみに三田でのウド栽培もこのようなビニールハウスが一般的となっていて、ウド小屋を建てる栽培農家は今では三軒だけだとか。

今回あらためて教えて頂いたことを含めて、この農業と密接に結びついた茅葺き文化については、いずれもう少し詳細なレポートをお届けできればと思っています。
同時にこの茅葺きの技術を、体験プログラムにも活用て行きたいと思っています。

070510 初夏の里山

投稿日: カテゴリー: 屋根からの眺め里山

神戸まで茅の搬出に来ました。
茅刈り体験会「カヤカル」の会場となった団地の茅場は、春になって芽吹いた緑に覆われています。
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刈り取りさえ怠らなければ、毎年繰り返し生まれる豊かな草原が、多くの生き物たちの命と私達の自然と共生する暮らしを支えてくれています。

同じ団地内の道路法面でも、茅刈りによる手入れをしていない場所との違いは一目瞭然です。
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もう少し季節が進めばここも見た目には緑色となるかもしれませんが、実態はこのように枯れ草ばかり多くて、それでは小さな生き物たちを育むことも、私達が資源として利用することも難しいのです。

初夏を迎える里山の茅倉庫では、鳥たちの鳴き声がにぎやかです。耳を傾けていると、実にたくさんの種類の鳥たちが鳴き交わしています。
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耕作放棄された一帯の里山は、次第に単調で野生の凄みすら感じさせる、原生の植生へと変遷していこうとしていますが、草刈りなどの管理を続けている倉庫の周りは、人の気配の漂うやさしい景色を保っていると思います。
それは多分、多くの鳥たちにとっても居心地の良い空間であるはず。

廃田を再生したこちらの茅場は土が豊かすぎて、本来痩せ地に生えるススキは毎年少々育ち過ぎ気味。茅刈りを続けてることで次第に落ち着いて行くとは思いますけれども。
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日当りの良い草地を好むシダが、ここでは年々増えて来ています。周辺の茅刈りをしていない休耕田は、ササやクズの茂るジャングルとなってしまっていて見られません。
茅場では冬のススキだけではなく、春のワラビという収穫も楽しめるのです。

070617 萩 行

投稿日: 4件のコメントカテゴリー: 屋根からの眺め

私事ではありますが、先日身罷った祖父の骨を納めに、母方の菩提寺を訪ねて山口県の萩まで行って来ました。
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幼い頃に何度も遊びに行った、夏みかんの木がたくさん植えられた広い庭のある、祖父母の暮らしていた古い家は、何年も前に取り壊されて既に面影もありません。街も年々変わって行き、思い出と乖離していくことが寂しく暫く足が遠のいていたので、久し振りの萩行となりました。
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今回は少し市内を歩き回る時間がとれたので、あらためて時間をかけて眺めてみれば、武家屋敷、商人町、寺町、港の区割りのそのままに、それぞれが往事の空気を醸しつつ住宅地として、或いは商業地区として落ち着きを見せる市内の空間の魅力はかなりのものでした。
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市街地に隣接して美しい砂浜があり、市内を流れる川には鮎が遡り、市内から車を5分も走らせればホタルが乱舞する、自然に恵まれた街にふさわしい街並だとあらためて感じました。
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茅葺き民家もトタンを被せられたものを市の周辺に多く見かけました。
寄せ棟のかわいらしい茅葺きで、石垣の美しい棚田の風景と石州瓦の赤い家並に良く似合っていました。
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茅葺きと言えば茅場について考えずにおれません。
小郡への帰路、日本有数のカルスト台地の秋吉台を通るルートを選びました。

採草地としての管理を長年積み重ねられて来た草原は、しかし、車道からちょっと覗いただけではススキではなくネザサが主な植生のように見えました。
もともとそうだったのか、近年草原の管理が難しくなる中でそうなっていったのかは、わかりませんが。
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