2007年11月07日

●071107 風破の仮付け/ある牡鹿の死

カヤマルの応対やら何やら色々あって後回しになっていた、「コムネ」と呼ばれる入母屋屋根の風破の部分の下地を組みました。
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2本1組にレンを組んだ上に、「ネズミ」と呼ばれる細い丸太を乗せます。風破板の天辺をこのネズミの端に釘打ちしてぶら下げるので、スミレンの上に丸太を立てて支え、ネズミの端の高さを調整して破風板の大きさを決定します。

破風を設置した時に小間の下地とのあいだに、茅を葺き詰めるすきまがちょうど残るように、棟木とネズミの長さを決めて切断します。
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先日解体した茅葺き屋根に取り付けられていた破風板を、屋根全体のバランスを見るために仮に取り付けてみました。
もう少し小さくても良いかなあ・・・

ところで、今朝仕事を始めようと足場に上がると、裏山で大きな生き物が暴れていました。栗畑に張られた防獣ネットに、若い牡鹿が角を絡ませて身動きとれなくなっていたのです。
ニホンジカは美山では有害鳥獣駆除の対象となっています。こういう時狩猟免許を持っている人ならば家に猟銃を取りに帰り、持ってない僕は役場に電話したところ、担当の方が来られて回収されて行きました。
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あとに残ったのは切断されたネットだけ。
大型の生き物の死に立ち会うことに慣れてはいないので、牡鹿の断末魔の声を耳にして、正直動揺がなかったわけではありません。しかし、ここで鹿がかわいそうだと考えてしまうのは、あまりに安直でとても無責任だとも思っています。

鹿が人里まで頻繁に下りて来ることに問題があります。
よく金儲けに走って杉を植え過ぎたせいだとか言われますが、雑木林であっても人の手が入らず放置された、鬱蒼とした山にはやはり鹿の食べ物になるようなものは少なく、茅場のような草原が無くなってしまったことも併せて、山が人の生業の場として成り立たないような社会の仕組みそのものに、原因があると感じています。

私たちは全員がそのような社会の中で暮らしていて、道路建設や宅地開発でさらに鹿の生活圏を狭めています。その結果たくさんの鹿が餓死したり、交配の機会を妨げられて病気にかかりやすくなったりしているはずで、私たちは普段何気なく暮らしているだけで、無意識のうちに鹿の大量殺戮に加担してしまっているのです。死体の見えない死に対しては無関心でいながら、目前での死に対して感情に委ねた対応をすることは、社会全体で根本的な解決を考えるべき問題を、農山村の責任に転嫁することであり、あまりに無責任なのではないかという気がするのです。

自然と共生するということは、生き物を愛玩することとは違います。人の社会も生態系の環の中に参加するとき、生きて行くために他の生き物の命を奪う罪を、受け入れる覚悟も必要になるはずです。
そのうえで、無駄に殺すことのないように一人ひとりが社会の在り方に心を配らなければならないし、奪った命は無駄なく大切に扱うことをこころがけなければなりません。

そんな訳で、美山町では只今「美山鹿肉キャンペーン」を開催中です。
「森の恵み- ヘルシーな鹿肉料理をどうぞ」