屋根からの眺め」カテゴリーアーカイブ

0801 萩 行 '10

怪我をして以来初めて山口県の萩の町を訪ねて、母と祖父母が眠るお墓に参って来ました。
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山道の先にある田舎の墓地なので車椅子でどうかな?と思っていましたが、何とかなるものです。視点が変わると、以前は全然気付かなかった迂回路がちゃんとあるのを見付けました。
地元のおじいさんおばあさんたちがお参りされているのですから、えぐい急坂以外のアクセスが無いはずは無いのに、目には映っていても意識できないものは見えていないものですね。

毛利家の菩提寺である東光寺まで足を延ばした帰り道、葺き替えて間もない茅葺き屋根の小さな家がありました。
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松下村塾の前身となった「玉木文之進旧宅」とか。公開されていたので見学させて頂きました。
昨年末に葺き替えたそうで、ボランティアの案内の方が「70代の職人が20代の後継者連れて葺きに来ました」と、嬉しそうに話してくださいました。

そういえば神戸でのくさかんむりのイベントに参加して下さっていた方も、山口県で茅葺きの修行をはじめたと聞いておりましたが、元気でやっておられるのでしょうか。
茅葺き屋根はその土地毎の日々の暮らしの中で育まれて来た文化ですから、地域性豊かな日本の茅葺きを次代に伝えるためには、各地に深く根を下ろした後継者が育つことが、とても大切なことだと思います。

Knife Ridge (シリーズ 茅葺く風景)

てっぺんで景色を楽しんでいる訳ではありません(多分)
棟の水平や密度を確認するには、上に立ってみた感覚で確認するのが一番なのです。
棟には杉皮や竹といったデリケートな素材を使っているため、ダメージを与えないように足場に出来るのが、てっぺんの角材(ヒ(樋)と呼びます)しかないという事情もあります。

1202 ピンホールカメラとか

恩師の神戸芸工大S先生と、神戸の茅葺き巡りをしてきました。
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ニュータウンと茅葺き民家が隣り合う、神戸市北区。茅の環で繋がれば、この状況は神戸という街の財産にもなると思うのです。

国営明石海峡公園予定地に建つ、藍那茅葺き交流民家を久し振りに訪ねました。
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雨戸を締め切った暗い屋内で、障子に浮かぶ雨戸の節穴から射す光が何だかカラフルです。

近づいて良く見てみれば、屋外の景色が天地逆さまに写っています。
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節穴と障子で、針穴写真機になっているのですね。
ただそれだけですけれども、何だか嬉しい。誰かに見せたい気分です。

光の芸と言えば、先日福井市のおさごえ民家園を訪ねた折にもありました。
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かまどに火が入り、屋内は煙と水蒸気でもうもうとしていたのですが・・・

茅葺き屋根の隙間から差し込む光が、もやに反射しているのかビームとなって伸びていました。
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ただ、それだけ何ですけれども。

0905 杉の葉葺き

テッタイとして活躍してくれていたクボさんとヨネクラくんが、滋賀県の朽木でのフェス山水人にスタッフとして参加しているので訪ねて来ました。

由良川を遡って美山町の奥へ奥へと進んで行くと、芦生の森をかすめて佐々里峠に出ます。
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見事な針広混交樹林が広がりますが・・・灰色の木は昨年までに、赤い木は今年、ナラ枯れにやられてしまった木です。関西でも指折りの美しい森の、広葉樹の半分以上は枯れてしまっています。
ここまで酷いとは・・・

峠を下りるとそこは、京都市左京区。美山町は京都市とお隣りさんです。雪の無い季節限定ですけれども。
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ここ久多の里は知る人ぞ知る茅葺きの里です。休耕田が茅場としてきれいに手入れされていました。

山水人の会場に着いていみると、テッタイチームの2人は滞在+イベント用の竪穴住居を建てているところ。さっそく手伝います。
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用意してあった真竹で骨組みを組んで、さて屋根を葺こうとすると茅が足りません。
この場所で一番身近に手に入る茅材というと・・・周りは杉だらけの山ばかりなので、枝打ちして杉の葉で葺くことにします。

竪穴住居のようにカーブした面に下地の竹を取り付けるには、無理に水平にしようとすると割れたり緩んだりしてしまうので、面に沿って斜めに取り付けます。
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現場で試してみればすぐ判ることだと思うのですが、何故だかこのように復元されている古代住居をまだ見たことがありません。

1日手伝って作業するとこんな感じになりました。
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あとは、自分たちで頑張ってくださいね!

080101 謹賀新年

明けまして、おめでとうございます。
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年末には毎年、いつもより念入りに鋏を研いで道具の手入れをし、1年を恙無く過ごせた感謝と新しい仕事の無事を祈念して、お供えを上げます。
神前に刃物というのも何ですが、まあ、仕事の道具なので仕方なし。

昨年は時間をかけて結婚したり、本格的に家を建て始めたり、個人的に色々と大きな動きがありました。
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今年は元日が予定日だった長男を迎えて始まるかと期待していましたが、いまのところまだ出て来てはくれないようです。
妻の体調も安定していますし、焦っても仕方の無いことですので、しばし穏やかなお正月を楽しませて頂いております。
ブログの更新も、年末休暇でようやく現実の日付に追いついて、やれやれです。

皆様、本年も宜しくお願いいたします。

071027 旧グッゲンハイム邸の事

全くの私事ですが、夏の終わりに妻と入籍したことを、親族や親しい友人たちに報告する席を先週末に設けました。
「茅葺き職人のブログ」なので、あまりプライベートに過ぎる内容は押し付けがましいと、控えるように心がけていますが、今回は会場として使わせて頂いた建物の事を、ぜひ知って頂きたいと思いましたので。
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開港地として栄えた神戸では、保存地区に選定され観光地として有名な北野地区とは別に、風光明媚な須磨・塩屋の地に居を構えた人々も多く、海を望む緑の丘に異人館の点在する風景は、地元でジェームス山と愛着を持って呼ばれてきました。

しかしジェームス山の洋館群は、その歴史的建築的な価値にも関わらず、これまで保全の策が講じられずにいるため、近年その多くが取り壊されたり放置されたりし、存続が危ぶまれる状態です。海沿いを走る国道や鉄道からもよく見え、ジェームス山の顔とも言える旧グッゲンハイム邸も、ここ数年急速に傷みが進行していくのを、幼い頃からこの地で過ごして来た僕は、暗澹たる想いで眺めていました。
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それがこのほど、地元のステンドグラス作家の方が、個人で費用を捻出して購入、町のシンボルとして活用されることで維持を図って行くべく、修復を進められているという朗報に接することができました。
自分たちの結婚を祝う集いが、塩屋の風景の一部であり、地域の財産である旧グッゲンハイム邸の、保存活用の一助になれば、これほど嬉しいことはありません。早速コンタクトを取り想いを伝えると、快く使用を許諾して頂けました。

建物の使用が決まってから開催までひと月もなかったので、とても慌ただしい準備となりましたが、多くの人達の助力を得て無事執り行なうことができました。
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急な話しに貴重な時間を割いて集まってくれたゲストの皆さんも、自然に恵まれ文化の薫り立つこの地を象徴する、歴史建築の空間を存分に楽しんで下さったようでした。
これから末永く、この建物が多くの方々に愛され活用されて行く事を祈ると同時に、異人館の建つジェームス山が漁村の路地の奥に見える、独特な塩屋の街並を守り育む道が拓かれるように、わずかでも力になれる事を探して関わり続けて行くつもりです。

070729 男鬼での差し屋根

山城茅葺屋根工房ヤマダさんに声をかけてもらい、滋賀県立大学人間文化学部有志「男鬼楽座」による、廃村「男鬼(おおり)」再興の取り組みの一環としての、集落の茅葺き民家の屋根の差し茅をお手伝いしに行って来ました。
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名神高速の彦根I.C.を下りて山間に分け入って行くと、男鬼方面から流れ出してくる川の水が、まるでガラスのように透明なことに驚かされました。
玄武岩質の美山では川底の石が黒く泥っぽいので、川の水質が良くてもこれほどの透明度は得られません。
水が青く見える感じは鍾乳洞の地下水みたいだと思っていたら、近辺はやはりカルスト台地で、川底に敷きつめられた玉砂利も石灰石でした。

山口県の秋吉台などと同様に、ここでもカルスト台地の緩やかな尾根筋はかつては茅場として利用されていたそうです。
茅刈りの行われなくなって久しい現在では、それらの尾根も雑木の林に遷移してしまっていますが、男鬼楽座の活動として再び茅場に戻そうという取り組みもなされていました。
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ハードウェアとしての茅葺き民家の保存に止まらず、周辺環境の整備に繋がる営みを取り戻そうとしていることが素晴らしいと思います。
茅葺屋の目指すソフトとしての茅葺きの再興と通じるものも多く感じていて、今後の活動からは目が離せませんし、もちろんお手伝いできることがあれば微力ながら力になれっていければと思っています。

070701 茅葺きツアーin鹿島・浮羽

シンポジウム2日目は見学会です。
◯最初に訪ねた集落は、鹿島市の中心街からわずかに川を越えただけのところでしたが、一面広がる干拓地の一画に肩を寄せ合う農家建築の多くが茅葺きで、しかもトタンを被せられている家は一軒も無いという、俄には自分の目が信じられないような光景が広がっていました。
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茅葺きの他にも板壁やレンガ作りの建物、手入れの行き届いたマキの生け垣、干潟の泥の匂いのするきれいな水の流れるクリークなど、暮らす人の愛着が滲み出たような、とても美しい集落でした。

なつかしい木の電柱に取り付けられた、街灯のデザインの面白さも秀逸です。
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茅葺き屋根は地域色豊かな、「くど作り」と呼ばれることもあるコの字の棟を持つ、非常に独特なかたちです。
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屋根下地よりもきつい勾配を持たせて葺いてあるために、こんもりした屋根のかたちと相まって、どこか外国の町の風景を見るようでもあります。

地元に茅葺き職人さんがおられたために、日常の手入れが行き届いて来たことで、茅葺き屋根が良く残されて来たそうです。
しかし肥前浜宿とは異なり、こちらの集落は伝統的建造物群保存地区の指定からは漏れているとのこと。
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実際に集落内に中層の集合住宅が新たに建てられていたり、特に印象的なかたちの茅葺き屋根を持ち集落のランドマークになっているお寺に建て替えの予定があったりしていて、この美しい風景が今後も残るのかどうかは難しい問題のようです。

◯次いで肥前浜宿の、昨日歩いた酒蔵通りの海側にある、町家が建ち並ぶ庄金、南船津地区を訪ねました。
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密集する町家で茅葺き民家が卓越するという、こちらも古い映像の中か、ヨーロッパの集落にでも迷い込んだかのような風景でした。

「くど造り」が注目されるこの地域の茅葺き屋根ですが、軒の下りがとても小さいのも珍しく感じました。
軒は垂木に負担がかからない限りなら、下げた方が軒の出が大きくとれるので、屋根下空間が広くとれて有利です。一方、軒の出が大きいと風圧力に対して弱くなります。
ワラを縄で巻きつけた竹で軒裏の隙間を塞いでいたりするのも風への備えと思え、雨仕舞いに不利な「くど造り」が広まっているのは、風対策として棟高を低く抑えるためだったのだろうかと想像したりしました。
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軒の出が小さいことも、茅葺き民家の街並に異国情緒を醸している、大きな要因と思われました。

干拓地に囲まれ有明海に面する町は、台風などの時には強い風に吹かれるのかもしれません。
ただ、それは夏に蒸し暑さから逃れる風を得やすいということでもあります。
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道路幅も狭く建て込んだいるために、さすがにトタンによる覆いをされた屋根も多かったのですが、今後屋根の修復を進めて行くうえで、準防火地域に指定されていることもあり越えるべき課題は多いようです。
しかし、課題として取り上げられていること自体、とても先進的な取り組みだと思います。

何よりこの路地空間の魅力は、何ものにも変え難いものがあります。
路地を介して適度に視線が行き交い交流が生まれます。密集した街並でありながら、随所に設けられた庭で狭苦しさは感じず、日差しにも恵まれています。行き交う路地や水路が通風を呼び込み、茅葺きの軒を切り上げて設けられた2階の窓は、風の取り込み口かもしれません。
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小さな町家の茅葺き民家は、現代の住宅として使うのにいかにも手頃です。
毎朝この路地を通って出かけて、夕方帰って水路に面した縁台で休み、路地を行き交う人と声を交わす。そんな暮らしを思い描いて強く惹かれました。
伝統的な街並は、「住みたい町」としても魅力に溢れていると思います。

◯午後からは福岡県の浮羽町へと移動しました。
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棚田の中に茅葺き民家の点在する風景が、谷に沿ってどこまでも続きます。

昨日のシンポジウムで井手氏の話された、杉皮葺きの茅葺き民家も始めて実物を見ました。
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他の材料にはないはない重厚な仕上がりです。

井手氏は重要文化財平川家住宅の葺き替えにも携わっておられたそうです。
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同じ「くど造り」でも佐賀県のものとは微妙に雰囲気が異なるように思います。棟の収まりは大きく異なりますが、それだけでは無いようにも・・・

棚田と茅葺きの谷間を通っていると、鮮やかな鏝絵もたくさん目につきました。
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これほど大きな鏝絵は今まで見たことがありませんでした。
左官屋さんも活躍されている地域なのでしょうか。

旅に出ると目にする物事も多いので、つい日記も長くなってしまいます。
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しかし、有明海北部。今まで縁がありませんでしたが、とても個性的な見所の多い地域でした。
駆け足の旅だったのが残念ですが、また行きたくなるくらいに名残を残しておいた方が、楽しみも残って丁度良いのかもしれません。

070617 萩 行

私事ではありますが、先日身罷った祖父の骨を納めに、母方の菩提寺を訪ねて山口県の萩まで行って来ました。
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幼い頃に何度も遊びに行った、夏みかんの木がたくさん植えられた広い庭のある、祖父母の暮らしていた古い家は、何年も前に取り壊されて既に面影もありません。街も年々変わって行き、思い出と乖離していくことが寂しく暫く足が遠のいていたので、久し振りの萩行となりました。
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今回は少し市内を歩き回る時間がとれたので、あらためて時間をかけて眺めてみれば、武家屋敷、商人町、寺町、港の区割りのそのままに、それぞれが往事の空気を醸しつつ住宅地として、或いは商業地区として落ち着きを見せる市内の空間の魅力はかなりのものでした。
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市街地に隣接して美しい砂浜があり、市内を流れる川には鮎が遡り、市内から車を5分も走らせればホタルが乱舞する、自然に恵まれた街にふさわしい街並だとあらためて感じました。
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茅葺き民家もトタンを被せられたものを市の周辺に多く見かけました。
寄せ棟のかわいらしい茅葺きで、石垣の美しい棚田の風景と石州瓦の赤い家並に良く似合っていました。
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茅葺きと言えば茅場について考えずにおれません。
小郡への帰路、日本有数のカルスト台地の秋吉台を通るルートを選びました。

採草地としての管理を長年積み重ねられて来た草原は、しかし、車道からちょっと覗いただけではススキではなくネザサが主な植生のように見えました。
もともとそうだったのか、近年草原の管理が難しくなる中でそうなっていったのかは、わかりませんが。
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070510 初夏の里山

神戸まで茅の搬出に来ました。
茅刈り体験会「カヤカル」の会場となった団地の茅場は、春になって芽吹いた緑に覆われています。
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刈り取りさえ怠らなければ、毎年繰り返し生まれる豊かな草原が、多くの生き物たちの命と私達の自然と共生する暮らしを支えてくれています。

同じ団地内の道路法面でも、茅刈りによる手入れをしていない場所との違いは一目瞭然です。
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もう少し季節が進めばここも見た目には緑色となるかもしれませんが、実態はこのように枯れ草ばかり多くて、それでは小さな生き物たちを育むことも、私達が資源として利用することも難しいのです。

初夏を迎える里山の茅倉庫では、鳥たちの鳴き声がにぎやかです。耳を傾けていると、実にたくさんの種類の鳥たちが鳴き交わしています。
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耕作放棄された一帯の里山は、次第に単調で野生の凄みすら感じさせる、原生の植生へと変遷していこうとしていますが、草刈りなどの管理を続けている倉庫の周りは、人の気配の漂うやさしい景色を保っていると思います。
それは多分、多くの鳥たちにとっても居心地の良い空間であるはず。

廃田を再生したこちらの茅場は土が豊かすぎて、本来痩せ地に生えるススキは毎年少々育ち過ぎ気味。茅刈りを続けてることで次第に落ち着いて行くとは思いますけれども。
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日当りの良い草地を好むシダが、ここでは年々増えて来ています。周辺の茅刈りをしていない休耕田は、ササやクズの茂るジャングルとなってしまっていて見られません。
茅場では冬のススキだけではなく、春のワラビという収穫も楽しめるのです。