月別アーカイブ: 2006年7月

060723 福井・千古の家

美山に茅葺きの普通の家、「砂木の家」を建てる計画の相談で、建築士のヤナガワさんを訪ねて鎌倉からの帰りに 福井県の芦原に寄って来ました。
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ご実家では地元の食材をふんだんに用いた、おいしい食事を始めとするおもてなしを頂きました。ありがとうございます。
こちらのお宅のような、居心地の良い縁側のある家にしたいと思っています。

翌日はヤナガワさんの案内で福井見物。「千古の家」と呼ばれる重要文化財坪川家住宅では、ちょうど茅葺き屋根の葺き替えが仕上げの段階でした。
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日曜日のためか職人さんの姿は見えませんでしたが、きれいな仕上がりでした。
オリジナルはススキ葺きだったと思いましたが、今回はヨシに葺き換えてありました。主に費用の問題からかと思いますが、比較的長持ちし材料として流通している量も多いヨシで葺かれる事例が、文化財建造物でも増えているように感じます。

屋根の中程を突き破って顔を出している丸太は、白川郷の合掌屋根などと同じ「こうがい棟」という棟収めのためのものです。棟に横積みにした茅を、この丸太に掛けた剥き出しの縄で止めておくという、いかにも千古の家にふさわしい素朴というか豪快な棟収めです。
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もっとも今回の葺き替えでは、ご覧のように杉皮と針金を用いた棟収めがなされたので、この丸太はかざりになってしまっていますけれども。

文化庁(の外郭団体)の設計監理によるのでしょうが、重文で幾ばくかの補助金があるとはいえ、実際の維持管理は所有者(千古の家の場合はおそらく坪川さん個人)がなされているわけですから、少しでも安価で長持ちするような工法が選択されるのは、ある程度仕方の無い事です。

一方で文化財指定の意味を考えると、特に民家の場合は建物単体だけでは無く、それを支えていた地域の文化も継承して行く必要があります。
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例えば、日常的な草刈りの規模で維持できる小さなススキの茅場があるだけでも、それを使って棟はオリジナルのススキのこうがい棟で収める事が出来れます。傷みやすく頻繁に必要となるいこうがい棟の交換を、職人の手を借りず有志の近隣住民の手でこなしていけば、あまりお金をかけずに茅葺きを介して土地の文化を伝える機会にもなると思いますが、難しいですかねえ。

実は千古の家の近くにも、手入れされた茅場とおぼしき休耕田がありました。周辺には他に茅葺き民家も見当たらない事から、千古の家の葺き替えに備えていたものかもしれません。今回の葺き替えでここのススキは活用されたのかどうか・・・

こちらは千古の家の軒裏です。本来なら茅葺き屋根の場合、草桁(外壁の上の横木)の上に丸太の垂木が乗っているだけなので、垂木のあいだには隙間があり屋根裏への空気の取り入れ口になっています。
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しかし、現在では多くの茅葺き民家に庇がつけられたために軒裏の隙間は塞がれていていて、千古の家のように茅屋根の葺き下しでも、このように隙間は藁束を詰めてわざわざ塞がれています。
茅葺き屋根が長持ちしにくくなった原因として、囲炉裏で火を焚かなくなったからだと言われていますが、自分の実感としてはそれ以上に、軒裏を塞いだり天井を張ったりして屋根裏の換気が悪くなったからのように思われます。

美山に建てる家では、そのあたりを実際に色々と試してみたいと思っています。

0720 さようなら、鎌倉

覚園寺の屋根は「ほぼ」竣工しました。
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最後に来て雨が続いたせいで、少し作業が残ってしまったのが心残りではありますが、後はスミタさん父子にお任せして帰る事になりました。

鎌倉には予想を超える長逗留となりましたが、その間たくさんのお店を訪ねて、たくさんの人達と出会うことができました。

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無線LANを解放されている事に甘えて、Daisy's Cafe にはiBookを下げて通わせて頂きました。こちらのJazzmineさんと出会えなかったら、ネット接続のためだけにマクドナルドに美味しくもないハンバーグを、何度も食べにいかなければならないところでした。
もっとも、Daisyに行けばパソコンを触っているより、犬を触ったりお店に集う人達と話をする方が楽しくて、ブログの更新は滞りがちでしたけれど。すみません。

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酔っぱらいたい時にとりあえずお世話になっていたRAM 。だけではなく、
ラ・ジュルネでもソンベカフェでも、GoateeやTipitinaでも、その他の色々な場所で、美味しい料理やお酒と共にたくさんの楽しい話が出来たおかげで、過酷な滞在環境や捗らない現場にもかかわらず、最高に良い印象を抱いて鎌倉から帰ることができます。
僕のやや片寄った「かやぶき話」を聞いて下さったみなさん、ありがとうございました!

今後はなるべく関西に腰を据えて行きたい想いも強いのですが、鎌倉に立ち寄りたいがために関東の仕事を増やしてしまいそうです。

0718 あらためて鎌倉の路地

梅雨のあいだ、湿っぽく蒸し暑い日が続きながらも雨らしい雨は降らなかった分を、ここに来て取り返すかのごとくに連日よく降られてしまいました。

あとわずかのところで滞っていますが、「明日降るかも」といいつつ休まず働いて来たので、疲れも溜まっていましたし、まあ仕方ないですよ。鎌倉の路地へ散歩にでも出かけます。

扇が谷、二階堂、雪ノ下・・・
緑の豊かな鎌倉の中でも、山の手は一本一本の木が見分けられる程近くに山が迫ります。
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蓋のされていない水路には落っこちそうですけれども、おかげで石組みをふんだんに使った街並と、ゆっくり走る自動車がもたらされています。

生け垣の向こうに顔を覗かせる、近代和風の木造2階家。
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由比ケ浜、長谷・・・
風に潮の香りが混じる浜手の町は、のんびり走る江の電の音と同じリズムが流れているようです。
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道の際や時に真ん中にすっくと立つ松の木が、景観に海辺の町らしいアクセントを加えています。
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稲村ケ崎、極楽寺・・・
海に迫る山の中に自然の地形に沿って建てられた家々が、照葉樹の森に埋もれるような町並をつくっています。
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波に乗れる程の砂浜が広がる海と、緑に覆われた山が手の届くところにあり、古い建物が住む道具としてあたりまえに使われ続けている、鎌倉は歩く程に楽しい気分にさせてくれる街でした。

0715 鎌倉の路地

暑くて、だめです。

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いや、仕事はしてますけれどね。
仕事しか出来ません。

あ、20日で例え竣工していなくても
鎌倉を離れることになりました。

まあ、スミタさんがその気になれば終わるでしょう。

振り返ってみれば鎌倉暮らしも4ヶ月。
正直離れるのは寂しいです。
(帰る先は本当に寂しい山奥だし)

鎌倉と言えば路地、なので
帰る前に撮りためた写真なぞ。
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0713 続・刈込み

今朝覚園寺の山門前で、今年最初の蓮の花が開いていました。
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刈込みはコーナーのラインを参考にしながら、わずかに起りを付けて仕上げて行きます。
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上の方から順に仕上げては足場の丸太を外してながら、下に降りて来ます。

それにしても、この暑さ!
もう梅雨明けしたのでしょうか?
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屋根の上は日差しを遮るものがありませんから堪えます。
そのうえ新しい茅屋根は想像される以上に照り返しがきつくて、裏表まんべんなく焼かれてしまいます。

美山の親方の若い頃だと夏に屋根に上がるような真似はしないで、川でアユ獲りの漁師をしていたそうです。
良いなあ。
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ちなみに冬は山でイノシシ獲りの猟師だったそうです。
僕等は冬でも雪かきしながら屋根葺いていますが・・・

0710 刈込み/鎌倉でW杯観戦

いよいよ屋根の散髪(刈込み仕上げ)に入りましたが、期限付きレンタル移籍のナカノさんは、今朝オーサキ君共々美山へ帰ってしまいました。
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タナカさんも所用で一時関西へ戻られたので、いきなりメンバー半減。リバウンドで寂しさも倍増です。

ところで、4日の写真ではまだここに写っていたヒノキの木は、お寺が手配して伐り倒されました。
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詳しいいきさつは知らないのですが、茅葺き屋根の近くに大きな木があるのは良くないからと対応されたようです。

確かに近くに生えている木が茅葺き屋根に悪意影響を及ぼすのは、藍那の現場でも説明した通りです。
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が、随分とまた思い切ったことをやりますね。
ただいま乾燥待ちといったところですが、ヒノキが材として有効に活用されることを祈るばかりです。

ところで、W杯もとうとう終わってしまいました。(体力も限界に達しつつあったので内心正直ほっとしたところも)
鎌倉では年配の方々と大部屋で同室なため消灯時間が早く、そもそも部屋のテレビは衛星放送が映らなかったので、mixiの鎌倉関連コミュの情報も参考にしながら探したお店で、試合観戦は散々お世話になりました。
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ひとつは材木座のトルコ料理店?KAHVE(カフベ)。ギネス一杯で長居させてもらってありがとうございました。

宿舎のある御成から、夜明け前の鎌倉をてくてく歩いて通いました。
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さすがに東国は夜明けが早い。4時前にもう空が白んできていました。
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延命寺の大屋根越しに、ハリス記念教会の塔が。

準決勝以後は近所の小町踏切わきのソンベカフェが、毎晩(というか毎朝)無料で大画面を解放して下さったので、オーサキ君(特技リフティング・エンドレス)と通いました。
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W杯終わったのに毎晩3時50分に目が覚めるので、熟睡していないような気がして疲れが取れません。
ジダンの祟りだ。

060709 建築士と初打合せ

僕は学校を出てからずっと屋根に上がっていて、建築設計の修行を積んでいません。
大工さんに渡す最終的な設計をまとめるのは、プロの建築士の方にお願いするべきだと考えていましたが、大学の同期で、地域の工務店と在来軸組による木造を多く手がけている、建築士のヤナガワさんが引き受けてくれました。
そしてこの程、鎌倉まで訪ねて来てくれました。
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ラ・ジュルネ の家庭的な雰囲気の中美味しいご飯を頂きながら、砂木の家のコンセプトに耳を傾けてもらい、僕のまとめた図面に目を通してもらいました。

伝統的なモジュールに沿って、なるべくシンプルな間取りを心がけた、三間取りの続き間。水廻りは北側の下屋にまとめながら、キッチンは居間に開放すること。
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2階はロフトとして茅屋根の構造と絡まないこと。

土間は吹抜けにして、茅葺きの屋根裏を閉じてしまわないことなどを確認しました。
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後半はしかし、アルコールも入り他のお客さんも加わって、話しが広がり逸れて行ってしまったのは、このお店の持つ魔力というか魅力というか、致し方の無いところです。
同期の友人と久し振りに会って、楽しい時間を共有できたことがまず、何よりでした。

0708 続々・棟収め

棟の形に整えて積んだ茅の上に杉皮を被せます。
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別にトタンでもルーフィングシートでも良さそうなものですが、そういうものを使った棟を解体すると蒸れて傷んでいることがあります。杉皮にしてもそれほど通気性に優れていようには思えませんし、自然素材だから良いと決めつけることは出来ないのですが・・・

杉皮の上に瓦を吊るための竹を固定して、瓦を載せて行きます。
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杉皮だとそれ自体に端をしっかり押さえるだけの固さがありながら、ハサミで切りそろえることも出来ることは、他にはない明らかな長所です。

瓦の割り付けが終わったら、お寺によって「棟祭り」が執り行われました。
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ご住職が袈裟に草履履きで棟まで上ってこられたのにはびっくりさせられました。手には火のついた香炉まで持っていたし。

等とやっているうちに、とうとう軒は全て落ちて(刈り揃えて)しまいましたよ。
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でっかい軒でした。やれやれ。

軒は僕一人で全て落とした訳では無く、実は火曜日から美山のナカノさんがオーサキ君を連れて応援に来てくれています。
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オーサキ君は藍那交流民家でも活躍してくれました。久しぶり。

棟の方も瓦が漆喰で固められて、完全に位置は決まったようです。
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棟の位置が固まったので、屋根の四隅をハサミで刈り通して、仕上げの刈込みの基準となるコーナーのラインを出します。
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ハサミを持った後ろ姿がナカノさん。常日頃お世話になっている僕の兄弟子ですが、今や日本を代表する親方職人の一人となられて、「関西の若手のホープ」というかつての枕詞はもはや失礼ともなりました・・・

瓦からはみ出した茅を切り揃えて、棟は完成です。
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仕事のできる職人が2人増えると、一日で進む工程が全然違います。
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0704 続・棟収め/鎌倉のやぐら

(一部ですが)軒が通って(途中ですが)棟が乗ると、屋根の形が見えて来ました。
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前後の最後の押さえ竹に2重にしたワラ縄を通して、横積みにした棟の茅を締め上げて固めます。
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ちなみに最後の押さえ竹は、棟の下ごしらえで高さを揃えて設置した下地の竹に縫い付けることで、棟の基礎として水平に設えることができています。

最後の押さえ竹の上にさらに茅を並べて、最後の押さえ竹から針金を取って押さえます。
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棟と屋根面との取り合いを滑らかにしたり、下地まで貫通した針金で締めてある最後の押さえ竹を養生する意味があります。

ところで鎌倉のあちこちにある、覚園寺境内にもたくさんある洞穴が「やぐら」と呼ばれる中世の墓所であったことは、例によって鎌倉に来るまで全く知りませんでした。
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近世、近代には物置として使われていたりしたので、内部に安置されていた五輪塔も外に放り出されてしまっておりますけれども。
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内壁には手で掘った鑿の跡がはっきりと残っています。
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切り通しもそうなのですが、襞のように入り組む谷戸の奥まで発達した鎌倉の街では、周りを取り囲む砂岩の崖を掘りたくなるのが人情というものだったのでしょう。

鎌倉の外とは繋がっていないので切り通しとは言わないのでしょうが、谷戸と谷戸とをつなぐ小さな切り通しもあります。
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あるいは、ご近所との往来を便利にするためにやぐらを貫通させてしまったのかも。

貫通したやぐらを潜って訪れる敷地に建つ住宅もあります。
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洞穴の入り口に赤いポストが何ともかわいらしいです。

0702 棟収め

ついに鎌倉暮らしも七月に突入です。四月に来た時には「夏までには済むだろう」と軽く考えていたのですが・・・
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足場に吊っている丸太の下は屋根が乾かないので、茅に混じっているススキの種がとうとう芽を出してしまいました。
もちろん、種は条件反射的に発芽しただけで、屋根を仕上げて丸太足場を外せば乾燥するし、栄養も無いのですぐに枯れますけれども。

とにかく、ようや棟積みがはじまりました。
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建物は方丈(平面が正方形)で寄せ棟なので、単純に考えると最後まで葺き詰めれば棟は点となるのですが、大きな屋根がそれではプロポーションのバランスが悪いのと単純に葺きにくいこともあって、妻側の勾配を平側よりやや急にすることによって小さな棟ができるように下地の段階で調整してあります。

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最後に並べて竹で押さえた茅は、四方から集まって互いに邪魔にならないように短く切る必要がありますが、短いと抜けやすくなるため、それを防ぐために押さえの竹から奥で折り曲げておきます。

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茅を横に積んで棟の形になるように整えていきます。
ただし、棟の天端が水平になるように徐々に寝かして行きつつも、両端は杉皮や瓦で雨養生のラッピングをした後も雨にさらされるので、水が棟の中に入って行かないように外に向かって傾斜する勾配を保つように取り付けます。

棟積みはまだ続きますが、とにかくてっぺんまで葺き上がりました。
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もっとも、小さな棟に大勢でたかっても効率が上がらないので、棟積みはスミタ父子にお任せして先に軒裏を仕上げて行くことにしました。
ですから、ここで紹介する棟収めの工程作業は、あくまでも僕の見たスミタ流(形は関東風ですが)のレポートです。
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軒刈りは重く大きなハサミを支えて一日中刈り続ける事になるので、肉体的にはきつい作業ではあるのですが、仕上げ仕事をきれいにこなすやりがいも大きいので、屋根屋仲間にはこの工程が結構好きだという人が少なくなかったりもします。