茅葺き現場日誌@鎌倉覚園寺」カテゴリーアーカイブ

0510 屋根めくり(2回目)

軒から2針分葺き上がったので、上の方の古屋根をめくり始めます。
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今回は藍那のときのような素屋根が現場にかかっていませんから、屋根の葺き替えには雨対策が必要です。
古屋根を一度に全部めくってしまうと、養生のためにとてもたくさんのビニールシートが必要になりますし、雨漏りの危険も大きくなります。
特に軒の部分は軒裏から吹き上げてくる風をはらんで、そこからシートがめくれたり破れたりしやすいので、まず、軒付けに邪魔にならない程度に全体の3分の1くらいの屋根を解体するにとどめて作業して来ました。
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こうすれば、雨養生のためのシートは小さくて済み、その分風をはらむ恐れも少なくなります。
新しい軒がついて、軒先から屋根裏に風が入り込む心配がなくなってから、上の方の屋根をめくります。このとき雨養生に使っていたシートが、新しい屋根に古屋根の苔や泥が付くのを防ぎます。
残り3分の2の古屋根も一度にめくらずに、仕上がりの寸法が予想しやすくなるように、棟の部分はまだ残しておきます。何人もの職人が集まって、互いに見えない裏と表に別れて葺いていますから、このような気遣いが最後の仕上がりに利いてくると思います。

シートが無かった昔は、1日に葺ける分だけ毎日少しずつめくっては葺いていたり、白川郷で行われているように1日で葺いてしまう事を最優先に作業したり、色々と工夫(というか苦労)していたそうです。
sh@

0511 雨につき

屋根屋の仕事は雨の日が日曜日です。

鎌倉に来てからじめじめとした日は多かったものの、まとまった雨はあまり降らなかったので何となく濡れながらも仕事を続けてきましたが、今日は昼からしっかり降り出したので休みとなりました。

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昼間に鎌倉を散歩できたのは初めてです。

異邦人が勝手に鎌倉らしさを感じているもののひとつに、名前も知りませんけれどもこの石材があります。
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切り通しや「やぐら」の掘られている谷戸の崖も、稲村ケ崎の海蝕崖ものっぺりとした砂岩の壁で、鎌倉には石というものが転がっていませんが、この石材もそんな砂岩の固いところを切り出してきたもののように見えます。実際のところはまだ存じませんが。

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この石で低く積まれた石垣の上に生け垣、という組み合わせは、いかにも「鎌倉のお屋敷」らしく思えます。

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見た感じ加工しやすそうで、他にも舗石やブロックの代わりに塀に積まれたりして、鎌倉の街のあちこちで使われています。

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エイジングによる効果が出やすいのも、柔らかそうな砂岩ならではですね。

ところで、昨日も少し触れましたが、お施主さんが暮らしたり、宗教施設として現役で使われている建物の、屋根をめくらなければ仕事のできない屋根屋ですから、雨対策が信頼できなければ、今日のような雨降りに安心して休むこともままなりません。

現在はシートがあるからそれでも楽なのですけれども、それまでは屋根をめくった穴を塞ぐためには、茅を仮に薄く並べるくらいしかできなかったそうです。

タナカさんの若い頃の話として、自転車を持っていない自分だけがお施主さんの家に泊まり込み、親方や兄弟子は通いで仕事をしていたところ、屋根めくりをした日の夜に雨が降り出して来たため、ひとりで何とか雨養生をしなければならなくなったものの、大きな屋根に茅を仮に並べ終わる頃には夜が明けてしまったしまったそうです。
しかも、夜が明けると雨は降り止み、仕事に来た親方や兄弟子と共に、あたりまえのように徹夜で仕事をせざるを得なかったとか。
笑い話としてされますが、怖い話です。
sh@

0505 軒付けました

ようやく、巨大な軒を付け終わりました。

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「軒がついたら半分済んだようなもの」とは、気分の上での話ですが、今回は本当に工程的にもそんな感じになりました。
やれやれ。

今日は端午の節句で、お寺から粽をいただきました。
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父が信濃人なせいなのか、実家では子供の日といえば柏餅でしたが、京都の美山へ行ってからは、各家庭でつくられたちまきのお裾分けに預かる事も多くて、それが普通になりました。
ちなみに美山では粽と言えば米粉と白砂糖でつくり、笹の葉を開くと真っ白なそれがあらわれるのですが、鎌倉でよばれた粽は黒に近い濃緑で驚きました。こういうものなのかな?
sh@

0501 鳥の鎌倉

あいかわらず軒付けが終わらないので、屋根について書く事があまりありません。

前にも書きましたけれども、周りを尾根の森に囲まれている谷戸にあって、覚園寺はとても野鳥の多いところです。

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朝から チョットコイ と絶叫しているのはコジュケイ?
ツツピー・ツツピー・と鳴きながら忙しく飛び回るのはおなじみのシジュウカラ
キー・ヒー・ホー・ホイホイ・はサンコウチョウかな?確かに月日星、と聞こえなくもありません。
クグッ・ホー・ホー・を繰り返しているキジバトは、落ち葉を踏みしめながらすぐ足下までやってきます。
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頭上の木の枝でピルルルル・チュルルルル・と優しく鳴き交わすのはヤマガラのペア。
カエデの樹冠の中を、たくさんの花バチに混じって飛び回るメジロもペア。(カエデの地味な花がこんなに鳥や昆虫を集めるなんて、全然知りませんでした)
高いメタセコイアの梢にとまって、複雑なメロディーを長い長い間さえずっているのは何という鳥なのか、高すぎて姿はよく見えません。
林の奥から聞こえてくる ホ・ヒリヒリホー・ヒリヒリホー という不思議な声も、どんな鳥なのでしょう。

鳥の声に混じって、犬みたいな変な声を出しているのはタイワンリスでした。
ちょっと、声はプレーリードッグ似かも。
でも、カエルの声はアマガエルさえ全くしないのが不思議です。

そんな境内ののんびりした空気を掻き乱すのが、
頻繁に上空を通過する軍用機。
厚木に向かうのか、横田に向かうのか、
ジェット戦闘機、大型飛行艇、対潜哨戒機、早期警戒機、対戦車ヘリコプター、救難ヘリコプター・・・
陸海空取り揃えてにぎやかな事。

それに、世田谷飛行場から飛んでくるのか、たくさんのセスナ。
鎌倉の空がこんなにやかましいとは思ってもいませんでした。

しかし、米軍のジェット戦闘機も沖縄や三沢で肝をつぶされた、キーンという暴力的な金属音ではなくて、旅客機のような低い音をさせて、何となく「しずしず」という感じで飛んでいるのは、首都圏だと遠慮があるのか?単に空も込み合っていてとばせないのか?
sh@

0429 もう初夏ですか

ついこのあいだ、藍那ではたどたどしかったウグイスも、すっかり上手にさえずるようになりました。今日のように曇った日には藤の花が一段と香りを放ち、いつの間にか満開になっている事を知らせてくれます。
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カエデの若葉は伸びきり、クスノキが古い葉を落とし始めました。
ツツドリがその名の通り、筒の底を叩くような声で鳴いています。
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これは銀杏の黄葉、ではなくて、花です。銀杏がこの季節にこんな花を散らすなんて、今まで気がつきませんでした。

さて、いつまでも続いていた軒付けもようやく後半。
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押さえ竹を止める針金を受けるために、屋根裏にもぐり込みます。
寺院の小屋裏は、跳ね木やら飛燕垂木の尻やらいろいろあってややこしく、針受けをするのも大変です。まあ、これでもましな方。
神社によくある化粧天井が張られていると、針受けは完全に無理なので、外から手を突っ込んで押さえ竹を縫い止める事になります。
sh@

0427 おやかた方

覚園寺は僕のイメージするところの、いかにも鎌倉らしい谷戸を辿った一番奥に境内が広がっています。
鎌倉は中心を山手に少し離れると、谷戸に町が入り込んで行って、尾根の緑に囲まれた住宅地の風景は目に優しく馴染みますね。
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今回の現場にはスミタさん父子の他に、藍那の交流民家でお世話になった、天理のタナカさんもいらしています。
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奈良の二大巨匠とご一緒させて頂けるのは、勉強するためのまたとない機会です。勝手知った仲間とだけ仕事をしていれば効率は良いかも知れませんが、個人としても集団としても、技術的な停滞に陥る事は避けられなくなります。

他所の地域の職人さんと仕事をご一緒すると、今まで「そうするべき」と教えられ、より完璧に「そう」しようとしていた事を、「そうしてはいけない」と全く逆の指摘を受ける事がままあります。時として美山町内でも親方によってこのように逆のことを言われて、丁稚の頃は随分混乱して悩んだものでした。が、これは、どちらが正しいのかという問題ではなくて、正解へ至るアプローチの手法の違いです。

「丈夫で美しい屋根」を葺くための解は一つではなく、ましてや材料が変われば例え同じススキであっても、美山のススキと奈良のそれとでは使い方も変わってくるものです。職人として仕事の質を深めて行くためには、技術的にもモノの考え方としても、自分の中にある引き出しの数を増やすと同時に、それぞれの引き出しの中身も充実させて行く必要があります。

とはいうものの、鎌倉には勉強をさせてもらうために来ているのではなく、仕事をするために呼ばれているのですから、例え今まで自分の培って来た技術をリセットする必要に迫られるようなことを求められても、手持ちの引き出しを引っ掻き回し、新たな技術や考えも日々吸収して、それなりに「仕事」をこなしてみせなくては、次の機会が無くなってしまいます。
一旦「使えないやつ」というレッテルを貼られるようなことがあれば、それは僕のような「渡りの職人」にとっては死活問題となってしまいますから。

藍那のように自分の現場に他の職人さんに入って頂くときとは、また異なるプレッシャーが雇われ仕事でも当然のようについてまわります。でも、そんな緊張感をもって現場に入るのは、嫌な事ではありませんけれどね。

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人数は多くないのに手間のかかる軒付けで、なかなか終わりません。到着してから一週間ずっと軒をつけています。「おまえのせいで捗らん」と言われないようにしなければ。
sh@

0425 軒付け(厚め)

関西では茅葺きの軒の厚みは、2尺=60㎝くらいです。下地の垂木の一番低いところ、広小舞の際から縄を取った位置に置いた押さえ竹で、軒の先端をしっかり固めるにはそれくらいが限度になるからです。

でも、東日本に来ると厚さが1m前後もある大きな軒の茅葺き屋根がたくさんあります。
覚園寺でも軒の厚さは3尺=約90㎝。
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軒の厚さを決めているのは、屋根の大きさよりも軒の高さが関係しているように思います。
民家は庇の無い葺き下しであれば、大きな屋根のお屋敷でも軒は高くて2.5m程度まで。普通は2mくらいで、建物を正面から見たときに、軒裏よりも屋根全体のボリュームが強調されるため、分厚い軒をつけなくてもそれほど不自然な感じはしないと思います。

それが神社仏閣のように見上げる高さに軒があると、屋根の大きさに比例して軒も厚くしていかないと、プロポーションが崩れて貧弱に見えてしまうのです。

関西では茅葺きのお寺というと草庵風であったりするもので、軒を見上げるような立派な造りになると、瓦葺きや桧皮葺きにするのが一般的です。一方で東日本には茅葺きの凝った造りの本格的なお堂がたくさんあります。
僕は歴史家でも建築史家でもありませんが、日本の中にも地域によって、明らかに異なる文化を背景とした美意識の存在を感じます。

ところで、普通につければ軒の厚みは2尺くらいが限界と書きましたが、3尺の軒をつけるためには、そのための技術がちゃんとあります。
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下地の垂木から縄を取れる位置で、押さえの竹を2列以上確保して、それらの竹に直角に交わるように(つまり茅と同じ向きに)短い竹を1尺ピッチくらいで差し入れます。この時短い竹の外に向けた先端が、てこの要領で下向きに押さえる力がかかるようにしておきます。この短い竹を利用すれば、下地の一番低いところよりも、さらに外側に押さえ竹を設置することができるようになり、厚い軒の先端までしっかりと押さえることができるようになるのです。

西日本とは異なる、東日本の文化的な嗜好に応えるために、編み出された技術のように思われます。関東東北には、他にも関西に無い軒付けの工夫が色々とあって興味が尽きません。
sh@

0421 現場入り 鎌倉

奈良の宇陀のスミタさんのお手伝いで、覚園寺というお寺の本堂を葺き替えに、鎌倉へやって来ました。
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鎌倉に来てからなかなかネットに接続できなくて、実はこの日記も4/25に書いています。
MobilePointで接続するには事前に手続きが必要ということを知らなくて。色々な方に色々とご迷惑をおかけしました。すみません。そして、ありがとうございました。

スミタさんは文化庁による選定保存技術認定者として、現在のところ唯一人の茅葺き職人です。
もちろん、文化財行政へ協力できる度合いには人それぞれの事情があるでしょうから、単純にスミタさんが日本一の茅葺き職人として認定されているという話ではないのでしょうけれども、名人と呼ばれる方のお一人であり、僕などは及びもつかないキャリアをお持ちの方です。

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ま、ともかくやや遅れて現場へ合流しました。丁度、軒付けが終わったところ、の様に見えます。が、実はまだまだこれから軒を厚くしていきます。既に2尺の軒がついていますが・・・

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それにしても、鎌倉の暖かいことに驚かされました。さすが老舗避寒地。
神戸はまだ芽吹き時だったというのに、ここでは既に新緑が目に眩しくて。二週間は季節がスキップしましたね。なんだかちょっと損をした気分もします。
美山なんか桜が満開だったのに。
sh@